現在のように、将棋駒に単なる遊具や道具を超えて芸術的とさえいえる趣をもたらせたのには、古来数多くの先達がいた。江戸幕府の庇護にあった将棋所(大橋本家)が衰退してからの駒作りをはじめ、市井の駒師、はては名もない職人まで、まさに多くの人々が駒作りに携わってきた。 ことに将棋駒が飛躍的に花開いたのは、明治〜大正〜昭和中期にかけて多くの名人・名工が輩出したからである。それらの名工たちが駒に対してどのような功績があり、どのような駒を作っていたのかを、作品を通してその轍にふれてみようというのがここでのテーマである。 取り上げる数人の名工の人選は、当然なことに必然性はなく、私の独断と偏見であることを最初にお断りしておく。 なお、写真や資料などは、『駒のささやき』より一部転載。 |