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2.一関の七夕に好事家の駒が映える―駒マニア・須田コレクション


制作当時・別カット


鵞堂書島黄楊銀目盛り上げ駒
酔棋作
(第188作)
須田氏所蔵・撮影

お好みはやや派手めな駒木地

 一関の医師・須田氏とは、最後に紹介する「水無瀬」制作のとき(1996年ころ)に、知り合いとなった。以後、私(酔棋)の作る駒を気に入っていただき、それ以前に制作した駒も含めて、全部で5組所蔵していただいている。須田氏は、別項の「第1回オフ会実況中継」にも参加しているように、好事家の間ではかなりの駒マニアとしても知られている。酔棋制作の駒以外にも、影水作、静山作の駒ももちろんコレクションに入っている。
 私の作った5組のうちの1つ「無劍」は、別項の「書体への誘い・無劍」で紹介することにして、ここでは「須田コレクション」の中で、私が制作したもの4組を取り上げる。また、本項の写真は「制作当時」(別カット)のものを除いて、すべて須田氏自身が撮影したものであることを、お断りしておく。2003年に送付いただいたこれらの写真と、「制作当時」(私の友人・写真家の河井邦彦氏撮影)の写真を見比べてみるのも、一興ではないだろうか。


 まず最初に「鵞堂」から紹介する。実際には、5番目の酔棋作の須田氏コレクションである。駒木地を島黄楊の虎斑よりも銀目と分類したのは、「金」の裏の写真で見ればおわかりのように、縞模様というよりもキラキラと光る感じがしたからである。たぶん虎斑と分類してもかまわないのだろうが、この駒は銀目のほうが似合っている気がする。
 また、写真で一目瞭然なように、玉将を1枚余分に作った。それは私がこの駒木地を手に入れたときから、玉将用の駒木地が3枚あったからである。その余分な玉将の裏に、この当時、須田氏が結婚なさったので、「結婚記念品」と「日付」を彫り埋めで入れた。


 次に下の写真の「董仙」を紹介する。この駒を制作した1996年ころは、盛り上げの用の漆に朱合漆や木地呂漆(どちらも透き通った茶色)を使うことが多かった。通常の呂色漆(黒色)とは違って、これらの漆は彫り埋めの状態の漆が透けて、黒く見えるのである。
 この駒は、駒形も少し変わっている。というのは、駒木地を入手した「将棋駒研究会」の杉亨治氏の所有している、豊島龍山作の「董仙」(別項「名工の轍・豊島龍山」参照)を復刻しようと思って、駒形も同じように(やや角度が鈍角で、かなり小ぶり)してもらって作ったものだからである。ぜひ、見比べていただきたい。同じような駒形の「董仙」は、「書体への誘い・董仙」をはじめ、現在までに4組作った。
 また、この「董仙」も余分な玉将の木地があったので、「双玉と王将」という3枚にしてみた。後から紹介する駒も含めて、駒マニア・須田氏はこのような少し派手めな駒木地がお好みのようである。



制作当時・別カット


董仙書島黄楊根杢盛り上げ駒
酔棋作
(第164作)
須田氏所蔵・撮影



◆派手な駒木地は七夕の飾りにも負けない


消えていく縁台将棋

壇上での須田氏の晴れ姿。

 須田氏から、送付していただいた地元の祭りの写真をもとにした構成だ。地方の香りと将棋のある風景を、少しでも感じていただければと思い、ご紹介することにした。
 上の写真は、知る人ぞ知る「一関の七夕」。2003年の夏祭りである。たくさんの人々で賑わい、お祭りにつきものの露店も数多く居並ぶ。また、大勢の子供たちがひく山車も、街中を練り歩き祭りを盛り上げる。
 左の須田氏の講演している写真は、地元の医師会市民フォーラムでの一コマである。医師という仕事は、責務が多くいろいろと大変でストレスも重なると思われる。そこで忙しい合間の余暇には、将棋を楽しんだり、コレクションの駒を磨くなど、気分転換うまく図ってリラックスし、厳しい仕事に臨んでいただきたいものだ。
 下の写真(左)は、地元の七夕祭りの最中に行われた縁台将棋の光景である。私の子供時代には、都会でもこのような縁台将棋はよく見られたものだった。大人たちが指している将棋を横で見ているうちに、子供たちはいつの間にやら将棋を覚えたものだ。
 昨今では、このような光景は都会とはいわず、日本中から消え去っている。ちょっと残念に思うのは、私一人ではないことだろう。
 また、この写真(右)ではマグネット盤で詰め将棋をやっているようだが、昔はちょっといかがわしい大道詰め将棋が、ところどころ路上で開かれていたものだ。私も高校の将棋愛好会時代に、大道詰め将棋で少ない小遣いを巻き上げられたことも、すでに懐かしい思い出となってしまった。
 須田氏のコレクションのような駒は、縁台将棋には使われることはまずないだろうが、さりげなくそういう駒で指してみるのもおもしろいかもしれない。しかし、実際には使われなくても、派手な駒木地は七夕のきらびやかな飾りにも負けていない気がする。

七夕の最中に、須田氏の友人たちが参加した縁台将棋。
昔はマグネット盤ではなかった。



制作当時・別カット


長録書島黄楊根杢盛り上げ駒
酔棋作
(第137作)
須田氏所蔵・撮影

人と人の縁を感じさせる駒

 最近、書体を変えたので、この「長録」(第137作)の駒字は現在では作っていない。というのは、上写真の「長録」は静山作のものを元にしていたが、「書体への誘い・長録」で掲載した「長録」(第220作)や「作品ライブラリー」の「長録」(第231作)は、龍山作を元にしているからだ。微妙な違いだからわかりにくいとは思うが、静山作のほうは柔らかみがあり、龍山作はやや鋭さがある。このあたりの機微は作り手や依頼者の好みで、「いいとか悪いとか」とは一概にはいえないだろう。
 かなり変則的な「長録」という書体には、薩摩黄楊根杢のような駒木地が似合っていると感じるのは、私だけではないだろう。この写真は、惜しいことに「角」と「成香」が写っていないが、それは「制作当時」のほうをご覧いただきたい。


 最後に紹介する下写真の「水無瀬」が、須田コレクションに加わった酔棋制作の最初の駒だ。須田氏は杉氏からこの駒木地を入手するとき私を紹介されて、その後お会いして正式に依頼されて作った駒である。
 その後、全部で5組も譲ることになったわけだから、私と須田氏を結んだ「人と人の縁を感じさせる駒」ともいえよう。この書体は、私の代表作のひとつである紫雲虎斑の「水無瀬」(第150作)と、まったく同じものである。
 この「水無瀬」には、「制作当時」の写真がない。まだ、デジカメなど普及していないころだったから、私自体があまり写真を撮っていなかったのである。 


 今回この記事を書くにあたって、かなり前のことだが、宮松影水のお奥さん(美水)のところへ須田氏と一緒に訪問したことを思い出した。そのときお好みの駒を手にした、須田氏の何ともいえない笑顔が今なお目に浮かぶ。おそらく好事家ならではの、至福の一瞬だったのだろう。
 もともと須田氏は実家は東京だし、学会などでも上京することもあるから、現在もたまにお会いするが、駒好きで気さくな人柄はまったく変わらない。私の作った駒が、須田氏の激務のストレス解消に少しでも役立っていただければ、作者冥利に尽きるというものだ。



水無瀬書島黄楊根杢盛り上げ駒
酔棋作
(第165作)
須田氏所蔵・撮影

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