董仙書島黄楊淡雪杢盛り上げ駒
酔棋作(第190作)
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別項の「名工の轍・豊島龍山」に登場する「董仙」(豊島龍山作)に魅入られて、それと同じ駒形にしてもらった「董仙」を、これまでに全部で4組制作した。上写真の駒は、現在のところその最後の作(最近は通常の駒形で、「董仙」を作っている)である。
通常の駒形よりもやや鈍角(末広がりが比較的立っている。下の「董仙」字母参照)で、かなり小ぶりである。この「董仙」という書体は、駒字が駒形の中央にまとまっていて、駒字そのも以上にまわりの空間が魅力的となっている。そこでこのような独特の駒形が、実にぴったりなのだ。
また、この写真のような駒木地は、あまり見当たらない。この作より以前に制作した3組も、いずれも島黄楊の根杢であったが、これほどに個性は強くはなかった。そこで、この作品はただの根杢でなく、「淡雪杢(たんせつもく)」と名づけてみた。駒木地の味わいが、「淡い雪が降っている」ように私(酔棋)には見えたからだ。
このような個性的な駒木地に出合うと、創作意欲がふつふつとわいてくる。制作者にとって、まさに至福の瞬間でもあるのだ。
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「董仙」の玉と歩
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「董齊」の玉と歩
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幕末の棋聖・天野宗歩の門下で、将棋五段に昇った松本董仙が、この「董仙」書を残した。
松本董仙は、後述する松本董齊の長男。弟の竹朗(竹郎、竹次郎とも)は、明治期に名人候補とまでいわれ七段まで昇った。
左の上段が「董仙」の書体(玉と歩)だ。実際の駒の写真以上に、字母紙で見ると、字が中央に集中し、まわりの空間の何ともいえない味わいががよりはっきりとしてくる。
左の下段が「董齊」の書体(玉と歩)だ。松本董仙の父親・松本董齊(1870年没)は、本名は盛義で、法眼(中世・近世に、医師、画工、連歌師などに授けられた位)に叙せられている。将棋は初段。
大阪の中井董堂に師事し、草書にすぐれ版下を多く書いていた。この「董齊」の歩を見ると、草書にすぐれていたことが、垣間見えるようだ。別項の「名工の轍・豊島龍山」には、実際の「董齊」(龍山作)の駒も掲載してある。
松本董齊・董仙親子ともに、将棋だけでなく書にも長けていたため、それぞれ駒銘を残したのであろう。
掲載した2つの字母の大きさは、それぞれ実際の駒と同率にしてある。比較してみると、いかに「董仙」が小さいかわかっていただけると思う。
上の駒の写真と同じく、下の字母紙は豊島龍山の「董仙」だ。ただし、この「董仙」にも同名の篆書の別書体があり、「董齊」にも「法眼董齊」という別書体もある。いずれ機会があれば、それらを紹介することもあるかもしれない。
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豊島龍山の字母紙。同名で篆書の別書体もある。
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