小百合書島黄楊上柾書き駒
酔棋作(第416作)
本田小百合氏所蔵
※「フォトライブラリー」に行って、「▼書体への誘い」の416を見ると、もっと大きな写真が見られます。
「玉将・王将」に+「玉将」の3玉に。 | 「玉将・王将」の裏に入れた。 |
「小百合書」の由来や作った経緯などは、下記の「『小百合書』の由来」をご覧いただくが、女流プロ棋士の本田小百合女流三段の書だ。
「島黄楊上柾」の上品な駒木地に、私(酔棋)の得意な「酔棋流書き駒」(▼別項参照)で作った。ちょうど余分な駒木地もあったので、左に掲載したように「3玉」にし、「王将の裏」には本田三段の息子さんのお名前、「玉将の裏」には息子さんが好きなアンパンマンを、彫り埋めで入れた。
女性の書らしく、全体的には柔らかく優美な印象だが、やはり日々の勝負にまみえるプロ棋士の書なので、優しさの後ろに厳しさも垣間見えてくる。
私の「将棋・駒人生」において、これまでに何かとご縁があり、このHPでも本田三段は何回か登場している。
初めての出会いは、かなり以前で『将棋マガジン』という雑誌で、取材で拙宅にいらしたのが始まりだ。その後、私の個展「第3回個展メモリアル」(▼別項参照)にいらしてくれたり、「第2回『駒の詩』将棋大会」(▼別項参照)で指導将棋を務めてていただいたこともある。また、私が『お好み将棋道場』(「あの駒は今・8.小林宏六段に山の仲間から贈られた駒―飴色の駒の後ろに仲間がいる 」▼別項参照)に出場したときには、本田三段(当時は二段)に聞き手を務めていただきインタビューも受けた。
以上のようなご縁から、本田三段に酔棋作の駒「作品ライブラリー・巻菱湖書中国黄楊赤柾盛り上げ駒(第316作・▼別項参照)、水無瀬書中国黄楊虎斑書き駒(第355作・▼別項参照)」を差し上げ、使っていただいている。
上に書いたようにこれまで本田三段と私は、数々の「将棋や駒」で交流があった。その中で、たびたび色紙などもいただくことが多く、本田三段の書は「駒の書体になるのでは」と私は感じるようになった。そこでその旨を本田三段に伝えると、幼いころには書を習っていたこともあるという。その後、「それではやってみましょう」ということになり、今回の新しい駒の書体「小百合書」が実現することになったのである。
書体が第一段階が完成し、本田三段にPDFデータで見ていただき、一部手直しして今回の「小百合書」は完成した。そのときに書体名をどうするかということになり、本田三段にうかがったのだが、「『小百合書』のままでいきましょう!」ということで、それに決定したのである。
新しい「小百合書」を手に、本田小百合女流三段
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2017年の初めに、本田三段自身が一字一字の駒字を半紙にしたため、持参していただいた。これらの駒字を吟味して、「将棋駒研究会」会長・北田義之氏と私と2人で、意見を集約しながら、パソコンでデータにし、徐々に駒の書体として練り上げていった。 |
まずは半紙に書かれた駒字を厳選し、それをパソコンを駆使してでデータにし、たとえば下図のように「歩」と「兵」のそれぞれの駒字を組み合わせて書体とした。下図の場合は、「歩B」と「兵A]を組み合わせて、今回の「歩兵」が完成したのである。もしも逆に「歩A」と「兵B」なら、まったく異なったイメージの「歩兵」となることだろう。このような作業をすべての駒字で繰り返し行うのだから、一つの駒の書体を作るということはかなり面倒なのである。
駒が完成しお渡ししたら、本田三段ご自身にもとても気に入っていただき、作った私としてもまずはホッとしたのである。ちなみにこのようにハナから新しい書体を作ったのは、この「小百合書」で2作目である。最初に作った書体は同じ「書体への誘い・19森内名人書」(▼別項参照)である。新しい書体を作るのは、プロ棋士をはじめとする著名人だけでなく、書に自信のある方ならどなたでもかまわない。もしもそのようなお考えのある方は、酔棋まで相談していただきたい。