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8.小林宏六段に山の仲間から贈られた駒―飴色の駒の後ろに仲間がいる


別カット


三邨島黄楊柾目盛り上げ駒
酔棋作(第96作)
小林 宏六段所蔵

 

十数年ぶりにめぐり合う駒   

「三邨」の玉将と王将を手に持つ小林六段(右)と、私(酔棋)。テレビ対局の前、控室にて。

 ご存じの方もいると思うが、プロ棋士の小林宏六段は単独でも登るという山好きでも知られている。小林六段が五段の昇段(1989年)の際のお祝いに、当時の山の仲間たちが駒を贈ることになった。
 当時から現在まで小林六段とおつきあいもあり、山の仲間というより年齢もかなり離れている山の師匠にあたる寺倉忠宏さんという方がいる。偶然のことだが、その寺倉さんが私の小学校と高校時代(中学校は異なる)の先輩でもあったことから、昇段祝いとして贈るための駒を、私(酔棋)がその方から依頼され作ることになったのである。
 後日、実際にその駒を依頼されたとき(あまり定かな記憶ではないが、そのときに「三邨」の書体を選んでいただいたと思う)に、先の寺倉さんと小林五段(当時)と一緒に飲んだことを思い出した。その後、しばらくたって完成した駒が、今回紹介する「三邨島黄楊柾目盛り上げ駒」(第96作)である。
 上の写真をご覧いただければおわかりのように、「王将」の裏に「小林宏」、「玉将」の裏に「鉢山会有志一同贈」とそれぞれ彫り埋めで入れた。また、「三邨」の書体そのものについては、別項「書体への誘い・三邨」を参照していただきたい。
 今回のテレビ対局(内容は下記参照)の当日(2007年7月10日)に、私との対局ということで、思い出深い「三邨」の駒を小林六段が持参していただいた。、小林六段がかつては研究会で、現在は棋譜並べに使っているその駒に、私も十数年ぶりに出合うことができた。まさに久しぶりにめぐり合ったその駒は、小林六段の育て方がよかったのか、いい具合に飴色になってきていた。その駒を目の前にすると、作った私自身も懐かしさとともにやや感動を覚えた。
 このような経緯を今振り返ると、小林六段所蔵のこの駒の後ろには、多くの山の仲間が垣間見えてくるのである。


◆テレビ対局

増山雅人アマ四段(左)対小林宏六段(右)の角落ち戦。 中央は記録の井道千尋女流1級。

『お好み将棋道場』

※スカイパーフェクトTV「囲碁・将棋チャンネル」と「ケーブルテレビ局」にて

●収録日
 2007年7月10日(火曜)
●放送日時
 2007年7月28日(土曜)
 午前10時
▼リピート放送日時
 7月29日(日曜)午後10時
 7月30日(月曜)午後2時

解説・宮田利男七段
 聞き手・本田小百合二段
 記録・井道千尋1級

■手合い「角落ち」
■持時間(切れたら30秒)
 上手(小林)25分
 下手(増山)50分

持参した駒は使えない

 以前、このHPでお知らせしたテレビ対局「増山VS小林」の角落ち戦を、振り返ってみよう。上で紹介している「三邨」をはじめ、私もいくつか駒を持参したが、残念ながら対局には通常の駒は視聴者が見分けにくいとのことで、それらの駒は使えなかった。ちなみに実際に使用した駒は「一字書体の彫り埋め駒」であった。
 左に掲載の『お好み将棋道場』(詳細参照)に私が出場することになったとき、担当の方から対戦するプロ棋士の希望を聞かれた。そのときに思いついた一人の棋士が、小林六段であったのだ。 それと同時に「そういえば、あの駒はどうなったのだろう」と、小林六段が所蔵しているはずの「三邨」の駒が、私の脳裏にふと浮かんだのである。
 最初は「飛車落ち」と聞いていたのだが、対局3、4日前になって「角落ち」と聞かされ、私はかなり戸惑った。私の棋力からいって、「角落ち」ではとても荷が重く「勝てるはずがない」とすぐに思った。「でも、決まったものはしようがない」と気持ちを切り替えて、「角落ち下手」を付け焼き刃で私の棋友・三上勉さん相手に、実戦研究した。
 そのときに編み出した戦形が、今回の「テレビ対局」で試みた戦法だ。「さて、どこまで通じるのか」と不安を抱きながら、席についた。上手・小林六段は、ゆっくりと飛車先の歩を突く。

実戦は棋譜ページで

棋譜は▼棋譜ページへ

※棋譜ページ(▼日付順)を開いて、「2007年7月10日 増山四段VS小林プロ六段」戦を選択してください。


 実戦の進行は、上記から入れる「棋譜ページ」でじっくりとご覧いただきたい。
 また、このHPでおなじみの「将棋駒研究会」会長・北田義之さんと、先の三上さんが応援に来てくれて、控室のテレビで本局を見守ってくれた。この場を借りて、お二人には感謝したい。
  陣形が組み上がった段階(下手右四間飛車)では、下手もそこそこに満足な形である。下手が仕掛け(▲4五歩)銀捨てから、おもしろくなったようなのだが角を切る勝負手を逸し、その後も下手が勘違いの悪手(▲4三金)を指し、「角落ち」のハンデが一気に縮まってしまう。
 中盤から終盤にかけて、あとの感想戦で小林六段にほめられた好手の金上がり(▲5六金)もあったのだが、結局は上手にいなされ、予想どおり下手の敗北に終わった。゙
 対局終了後、解説者の宮田利男七段や本田小百合二段も加わって、感想戦も行われた。そのときに指摘された変化手順は、棋譜をご覧いただきたい。

対局の前にインタビューを受ける 

持参の駒を前に、本田小百合二段(左)のインタビューを受ける。

  実際の対局に入る前に、小林六段をはじめ解説者・宮田利男七段、聞き手・本田小百合二段に控室でお会いした。宮田七段とは初めてであったが、本田二段とは面識があった。
 このHPの「酔棋からのお知らせ」(下記抜粋)でも書いたように、『近代将棋』・「本田小百合の突撃ルポ」で、本田二段が2003年に拙宅に訪れているのである。そのときに根付を作って本田二段差し上げ、今も使っていただいているという。

※「酔棋からのお知らせ」(2003年)抜粋
 『近代将棋』の連載「本田小百合の突撃ルポ」の取材で、女流の本田小百合初段(当時)が記者の方とともに自宅にいらっしゃいました。駒師を突撃というのが狙いで、本田さんは、駒を彫ったり、自ら筆を持ち盛り上げのまねごとをしたりと、しばし駒談議をふたりでしました。この記事は、たぶん『近代将棋』の8月号に掲載されます。
 本田初段が小さかったころに、私が書いた『将棋次の一手』を読んでいたと聞かされて非常に驚きました。初版は15年くらい前ですから、たしかに本田初段にとっては、小さかったころということになります。趣味を超えて、仕事や駒作りなどを含め将棋にかかわってから30年近くになると考えるだけで、感慨もひとしおです。
 最後に『駒のささやき』を、本田初段に差し上げました。これからは駒にも興味をもって、対局に臨んでいただけるとのことです。また、後日、根付を作って差し上げることになっています。

「テレビ対局」関係者に感謝!

『お好み将棋道場』出場の記念にいただいた色紙。

 本田二段のインタビューでは、私の将棋のことや仕事だけでなく、駒作りや持参した駒「水無瀬紫雲虎斑」「龍山安清虎杢」「宗歩好赤柾」や、拙著『将棋駒の世界』の紹介もしていただいた。
 『お好み将棋道場』に出場した方には、通常は日本将棋連盟から記念に駒をいただけるらしいのだが、駒師でもある私が駒をもらうのはおかしい(笑い)ので、左の写真の色紙を用意していただいた。
 最後になるが、今回の「あの駒」の所蔵者であり、かつ対局相手でもあった小林六段に、いい味に育てていただいた「三邨」のお礼とともに感謝したい。また、「テレビ対局」の裏方スタッフをはじめとし、連盟の関係者の方々にも、将棋好きにとっては至福の時を過ごせたことに感謝し、あらためてお礼を述べておきたい。

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