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書体への誘い 16 三邨<さんそん>・英歩<えいほ>


 この項では、「三邨」「英歩」の2つの書体について掲載する。これらの2書体はまったくかかわりはないのだが、その書体が完成されるまでのルーツがほとんど不明なのが共通点といえる。
 そこで、やむをえずそれぞれのルーツについてあまり言及せずに、作品の紹介と、私(酔棋)なりの書体として確立させていく経緯について、おもに述べることにする。


別カット

三邨書島黄楊薄虎斑盛り上げ駒
酔棋作(第243作)
榎本直行氏所蔵


三邨書の変わった特徴

下段の「銀」(表)から、上段の「銀」にその後変更した。

 この「三邨」は、これまでに3組しか作っていないから、私(酔棋)としては比較的少ないほうの書体である。全体のイメージとしては、なかなかいい書体だと思うのだが、駒字としてはやや弱くていまひとつの気がして、数を作ってこなかったのかもしれない。
 現代の駒師はともかくとして、三邨を作っていた名工としては、静山(「名工の轍・金井静山」参照)がよく知られている。字母紙そのものは下記でも紹介しているように、「龍山の字母帖」にも残されている。
 かつてはコピーから作っていたものを、2003年に私自身であらためて「三邨」の字母紙を作り直した。原本は先の静山をもとにしたが、それだとあまり特徴がないと判断し、下記の龍山の字母も参考にした。つまり静山と龍山の合体が、私の作る「三邨」なのである。
 「三邨」の特徴と思われるものに、「縦棒の突き抜け」がある。つまり上写真の「銀将」「成銀」をご覧いただきたい。「」の箇所が突き抜けているのは、他の書体ではまず見受けられないだろう。書そのものからいっても、おそらく不自然なのかもしれない。でもそれこそが、「三邨」の特徴でもあるのだ。
 字母紙を作ったときの作品(2003年制作・第226作)には、下段写真のように「銀将」(の箇所)は突き抜けるのをやめていたが、2005年制作のときに「銀将」(上段写真の箇所)も突き抜けるようにした。
 原本とした静山作では、「銀将」は出ていなかったが、龍山の字母は出ているので、元に戻したわけである。このような駒字への試行錯誤は、他の書体でもよくあることで、駒師として苦労するところでもあるが、半面おもしろいところでもある。


■「三邨書」の由来

 「三邨」は、明治期に活躍した熊谷三邨が、その字の源流と思われる。その時代のすぐ後を追った豊島龍山(別項「名工の轍・豊島龍山」)が、熊谷三邨と交流があったかどうかはわからないが、それを駒の書体としたと考えるのが自然だろう。
 その熊谷三邨について、このHPをご覧になっている方(KOHITUさん)が掲示板に書き込みいただいたので、その一部を以下に抜粋・引用して掲載させていただくことにする。


 「駒の書体に関わる人物 投稿者:KOHITSU 投稿日:2005/03/21(Mon) No.419からの引用」

 熊谷三邨
 天保13年(1842年)、羽後六郷の熊野神社社家に生まれる。熊谷松陰(国学者・教育家)の弟、名は武五郎、直光、字は土方、号は三邨。18歳で江戸に上り天野道場に入門、のち塾頭、佐倉藩師範に就任。戌辰の役に総督府参謀付書記となり、岩倉、桂に認められ、維新後に駅逓司権事、県令、権大史、明治7年大蔵大丞、華族銀行支配人、四十四銀行頭取、明治21年仙台逓信管理局長、仙台一等郵便局長を歴任。詩書を能くす。明治35年7月23日東京で逝去。享年61歳。墓所は本所法恩寺。
「武總将棋手相鑑」五段、「将棋有名鑑」六段。追贈七段(?)。



 来歴を見ると、歴史に登場した維新の人々と同様に、幕末から明治を駆け抜けてきた人のように思える。「詩書を能くす」と書かれているところから、この書体「三邨」のような味わいのある字を書いたのかもしれない。

豊島龍山の字母帳に残された「三邨」。



別カット

英歩書島黄楊柾目彫り駒
酔棋作(第251作)
盤駒店へ

 

本来は彫り駒向きの書体なのか?

1998年制作の盛り上げ駒の「英歩」。

 現代の作家や、ここに紹介する自らが作った駒を別とすれば、今までに「英歩」の現物には、たった1作の龍山作の彫り駒しか見たことがない。その駒を拝見したとき、際立った特徴はないが、独特の「と金」と「龍馬」には魅かれるものがあった。
そこで、まずはその駒のコピーから、左写真の「英歩書島黄楊虎斑盛り上げ駒(第193作)」を作った。龍山作の現物の駒は、字がやや細すぎたので、彫るときからやや太字(外側を彫る)にし、盛り上げで少し味つけをした。
それ以来、まったく作っていなかったのだが、ある盤駒店からこの「英歩」で彫り駒を依頼されたので、それに伴ってあらためて字母紙も作り直した。だからこの彫り駒の「英歩」が、2作目となるわけだ。素朴な島黄楊の柾目であったから、かえって素朴な彫り駒に似合うような気がした。


と金について

彫り駒の「と金」。

 「成銀」「成桂」「成香」の小駒の裏字は、すべて「金」の崩し字である。しかし、「と金」についてはそれ以外に異説もあるので、少し紹介しておこう。
江戸時代の文献に図面として登場する「と金」には、明らかに通常のひらがなの「と」でもなく、「今」の崩し字が使われているものがある。その崩し字がひらがなの「と」に似通っているから、逆に後から「と」が使われたという説である。
もともと「今」の音読みは「キン」だから、それこそ「金」の代用であると……。いずれにしても古くから「今の崩し字」と、ひらがなの「と」が混在してきたのは事実である。
「英歩」の独特な「と金」(右写真)は、先の「今の崩し字説」を彷彿とさせるものではないだろうか?
ときには、手元にある駒の「と金」をじっくりと眺めていただきたい。


■「英歩書」の由来

 以前、図書館などにも足を運び調べてみたが、まったくといっていいくらい駒の書体としての「英歩」にたどり着くものは、見つからなかった。
 ただ、江戸時代の棋譜に「前田英歩」なる人物が出てくるので、もしかするとその人が残した書から、豊島龍山が創作した書体なのだろうか?
 また、同じく「書体への誘い」の別項「宗歩好」でもその読み方について少しふれたが、やはり「英歩」についても、「えいほ」と「えいふ」のどちらが正しいのかはっきりとはしない。ここでは、一応「えいほ」としておく。

豊島龍山の字母帳に残された「英歩」。

 

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