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書体への誘い 19 森内名人書<もりうちめいじんしょ>



別カット

森内名人書(森内俊之書)
島黄楊虎斑盛り上げ駒
酔棋作(第290作)
森内俊之氏所蔵

十八世永世名人獲得のお祝いに

 「第65期名人戦」(2007年4〜6月)にて、森内俊之名人は挑戦者・郷田真隆九段を4勝3敗で降し、栄えある「十八世永世名人」の資格(名人5期)を得た。
 その結果を契機として、森内名人の自筆をもとに、「森内名人書」を私(酔棋)が新たに字母紙を作成し、駒を作ることになった。2007年8月、森内名人を拙宅に招き、今回の駒を作るにあたって、好みの駒木地を選んでいただいた。そのあたりの詳細は、後述の「『森内名人書』の由来」をご覧いただきたい。
 2008年3月、やっとのことでここで紹介している「森内名人書」の実物が完成した。そこで再度、森内名人に拙宅までおいでいただき、「永世名人獲得のお祝いとして」完成した駒を贈呈した。右の写真は、その真新しい駒を手にしてもらい、駒の飾り棚の前で撮ったものである。
 

※2013年、「第71期名人戦」において、森内名人は最強のライバル・羽生善治三冠を破り3期連続で名人を死守した。また、同じく2013年11月に渡辺明竜王を破り、「竜王」を奪取した。これで名実ともに棋界の頂点に立ったことになる。これからもますますのご活躍を、祈念している。

■「森内名人書」の由来

「第65期名人戦」就位式の立食パーティーの会場にて。

  永世名人の資格を得てから

 森内名人が十八世永世名人の有資格者になった「第65期名人戦」就位式のパーティー会場で、私が「そろそろ『森内名人書』を作ってみませんか?」とうかがったのが、この駒を作るきっかけだった。それまでにもお会いしたときに、この話はしたことはあったのだが、森内名人としては――永世名人の資格を得てから――と心に思っていたからか、快諾はしていただけなかった。しかし、この会場では「考えてみます」と、前向きな発言をされた。
そこで前述したように、2007年8月に森内名人に拙宅においでいただき、駒木地を決めたり、駒字をどのように作るかを説明した。およそ3倍くらいの大きさの駒形のコピー(全種類)を森内名人に渡し、ここに駒字を墨で書いてもらうことになった。それから2〜3か月のちに、森内名人が駒字を書いて(後出)郵送していただいた。

駒木地を「虎斑」に決めてもらった。

  虎斑を選択

 「虎斑」と「根杢」の駒木地を、森内名人に選んでいただくために見せたところ、「虎斑」を選択した。そういえば、以前差し上げた駒は派手な「根杢」だった(同じ「書体への誘い・水無瀬」参照)からか、今度は「虎斑」を選んだのかもしれない。
この「虎斑」は、模様の間隔が比較的に狭く、どんな感じに仕上がるのか、また新しく作る「森内名人書」に合うだろうか? 私自身も気になっていたが、不思議なことに完成した駒を見るとぴったりな気もしてくる。 

 「森内名人書」と「森内俊之書」

 トップに掲載した駒と駒銘の写真をご覧いただければおわかりのように、「森内名人書」と「森内俊之書」の2つの駒銘がある。実際の駒としては、2枚の玉将には「森内名人書」と作者名の「酔棋作」で、もう1枚の王将には「森内俊之書」と入れてある。この書体においては、双玉の場合は「森内名人書」で、通常の王将と玉将の場合は「森内俊之書」ということにした。
いつでも、玉将の大きさの駒木地が3枚あるわけではないので、今後作る場合には2つの駒銘のうちのどちらかということになるわけだ。ただし、どちらにしてもこの書体に限っては、「森内名人の了解がなければ作ることができない」ことになっている。

 元字から書体を作る

この駒形の紙に、森内名人に書いてもらった。

 森内名人には、駒の書体としての慣習や決まりごと(「龍王」は昇り龍、「龍馬」は降り龍など)を伝え、また拙著『将棋駒の世界』でそのあたりを参考にしていただいた。それらをもとに、墨で書いていただいた駒形の元字(左写真)を、スキャナーでパソコンに取り込んで、デジタルデータにする。それから、駒の書体として完成するまでに、いろいろと試行錯誤し、また工夫したりして、徐々に駒字として完成させていく。
その間に、「将棋駒研究会」の会長・北田義之さんや他の駒友に意見を聞いたりして、元字のよさや個性をなるべく失わないようにしながら、書体としての味わいをもたらしていくのだ。つまり、墨字で書いたものを、そのまま駒字にすぐに使うのではなく、彫ったり漆で盛り上げたときに生き生きとしてくるような感覚が、駒の書体としては大切なのである。
下段の写真は、左が「歩・と金」の字母紙、右が完成した実物の「歩・と金」だ。基本は字母紙どおりなのだが、実物の駒は漆の高さなどもあり、かなり変わってくる。

元字から、パソコンを駆使して字母紙を作る。 盛り上げの時点で、少し味わいを加える。

乾杯! 「十八世永世名人」獲得のお祝いの席を、私の地元のステーキ屋で私の駒友・三上勉さんとともに行った(2007年8月)。

「森内名人書」完成記念対局(2008年3月29日)
――増山雅人四段VS森内俊之名人(飛車落ち戦)――

盤面拡大

駒を飾ってある部屋で対局した。森内名人は終局まで正座をくずすことはなく、私は耐え切れずにお断りしてあぐら座りになる。

 2度目の「飛車落ち」  

 森内名人には、同じ「書体への誘い・水無瀬」でも書いてあるように、「飛車落ち」を教わるのはおよそ10年ぶり、今回で2度目となる。かつては、A級に昇って間もなくの八段のとき、今度は永世名人獲得後、まさに隔世の感を抱く。
まして今回の対局は、時の名人の書き下ろしの駒字で、私が自ら書体も作り、盛り上げ駒にしたその駒で一局教わるわけだから、私にとってこれ以上の贅沢な対局はないだろう。
「勝ち負けはともかく、この至福な時間をじっくりと楽しもう」
そのような気持ちでこの対局に臨んだ。
  どちらの「飛車落ち戦」も、下の「棋譜ページ」に掲載してあるので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。

棋譜は▼棋譜ページへ

※棋譜ページ(▼日付順)を開いて、「2008年3月29日 増山四段VS森内名人」戦を選択してください。

 記録係は駒友

記録係の三上さん。

 長年にわたる私の駒友の三上勉さん(右写真)に、本局の記録係と撮影係をしてもらった。ちなみに三上さんと私とのつきあいは、別項「あの駒は今5」「永島慎二レクイエム」を参照していただきたい。
森内名人が平箱から新しい駒を盤上に移し、「玉将」(駒銘が「森内名人書」)を取り上げピシッと定位置に置く。それに合わせ、私は「酔棋作」の駒銘の「玉将」を置いた。書の主である時の名人を前に、双玉の陣形が盤面にきれいに並んだ様は、まさに駒の作者冥利に尽きるといっても過言ではない。
「お願いします」の礼の後、上手・森内名人の初手、角道を開ける▽3四歩が指された。一呼吸入れ、下手の私も同じく角道を開けた。

 考慮中の名人の自然なポーズ

 私が得意にしている、下手の飛車落ち定跡「巨泉流」に組み上げる。この戦法は、大橋巨泉さんがよく用いたことから名づけられたとか。もっとも近ごろでは、あまり見かけない指し方だと思う。森内名人との以前の「飛車落ち」でも、この戦法を採用したことがある。
組み上がるところまでは順調だったのだが、上手の銀に強く出られて下手が方向転換し、圧迫されて駒損覚悟の攻めに出ざるをえなくなる。このあたりの局面は、上写真の「盤面拡大」を参照していただきたい。

対局時の考慮中に森内名人がよくするポーズ。 左と同じく、考慮中に自然とするポーズ。

 NHKのテレビ将棋や名人戦などでも、森内名人が考慮中によくするポーズが上写真の2パターンだ。今回対局者であった私は、これを生で間近で見られたのだから、これも「森内名人書」のおかげといえよう(笑い)。
とはいえ、私の苦しい局面は相変わらずで、「何とかしなければいけない」という焦りの気持ちになってくる。下手も上手玉に迫るが、自陣も相当に危ない局面だ。

 やっとのことで詰みを発見

冷静に見えるが、頭の中はウニ状態。 名人! 駒の手触りはいかがですか?

 上手が決めにきた歩の頭に出る▽5六銀に、下手も開き直り強く応じるしかなくなり、一手違いに持ち込めた。もっともこれは私が実力で持ち込めたわけではなく、森内名人が棋譜を汚さないようにうまく指していただいたおかげなのかもしれない。
その後、ギリギリの展開が続き、上手陣に詰みがあるのかないのか、あまりにも難しくて訳がわからなくなる。まさに頭が「ウニ」の状態だ。最後の最後に、森内名人は「三上さんと相談してもいいですよ」と言いながら、席を外した。
それではと、三上さんに私が視線を投げかけても、「オレも何だか読み切れないんだよね」という調子で、相談してもはっきりしない。森内名人が戻ってきてから攻めつづけ、やっとのことで少し遠回りしたが詰みを発見する。結局、何とか上手玉を詰ますことができ、森内名人の投了となった。

森内名人の最終手。 投了の盤面(▲2二銀まで)。

 笑顔の感想戦

 投了の局面からは下手の持ち駒に角金があるので、上手▽1四玉なら▲1三金以下、▽2四玉なら▲3三角以下詰み。いずれも、ベタっとじかに打つ▲3三角がポイントで、ここを離して▲4二角は上手玉に上部に脱出されて詰まない。

感想戦で、森内名人は読み筋をいろいろと披露。 下手がやっと詰ましたので、これでひと安心(?)の森内名人。

 対局終了後、すぐさま感想戦が始まる。やっとのことで詰まされて(?)、森内名人も思わず笑顔。それにつられて、私もホッとし自然と笑みが浮かんだ。記録係を務めた三上さんも参加し、みんなでワイワイにぎやかな感想戦となる。いずれも森内名人の読みや指摘は適切で、私と三上さんは感心するばかりであった。
「駒の手触りなどは、いかがでしたか?」と私がうかがうと、「指しやすいですよ」と森内名人に言っていただけた。
将棋を指せるようになってからおよそ半世紀、また駒を作るようになってからおよそ30年、そんな私にとって最高のひと時が、森内名人と駒友・三上さんのおかげで過ごすことができた。
どうやら今回の勝利は、新しい駒の後押しもあり、「森内名人書」の作者に名人が花を持たせてくれたのかもしれない。また、感想戦終了後に、森内名人においしい中華料理を、三上さんともどもごちそうしていだいたことを付け加えておく。
  最後に駒師として、永世名人直筆の駒を制作させていただき、またその駒で将棋を指す機会をつくっていただいた森内名人に、あらためてお礼を述べておきたい。

 感謝! 感謝!

「森内名人書」完成記念の対局は滞りなくすみ、その熱気も含めて参加者全員でパチリ。


「森内名人書」の駒が書展に展示

ケースを前にして、森内九段の書の先生でもある川口青澄氏(右)とともに、3人一緒にパチリ。

盤面拡大

書の作品の中央に置かれた盤駒。裏の駒字も見えるように並べられていた。

 東京の銀座で開かれた「第22回 青濤書展」(2008年11月5日〜9日)にて、森内俊之九段に差し上げた上記の「森内名人書」が展示されました。森内九段が、ご自身の一つの書の作品として、この書展に出品したものです。
私(酔棋)も森内九段と現地で待ち合わせして、書展に行ってきました。会員のみなさんの個性にあふれた数々の書の作品の中に、私が作った「森内名人書」の駒は、森内九段が持ち込んだ榧盤の上に並べられ、立派なケースに収められていました。
書展というやや特別なところでしたが、あまり違和感もなく盤駒が溶け込んでいたのです。つくづく駒というものは、書の悠久の流れを汲んでいることを、あらためて感じさせられました。


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