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書体への誘い 3 水無瀬<みなせ>



別カット

水無瀬書島黄楊根杢盛り上げ駒
酔棋作(第175作)
森内俊之氏所蔵


2002年7月8日の森内名人就位式にて、 森内新名人と。

森内名人が研究時に使用する駒

 この根杢の「水無瀬」は、数年前の「森内優駿流棋本ブックス」シリーズで監修者として、書籍編集の仕事上お世話になった森内名人に差し上げたものである。
 もっとも当時(1997年)はA級に入って間もないバリバリの八段であった。それが2002年の名人戦おいて、4連勝という輝くべき成績で名人を獲得するとは、一ファンの私としても感慨ひとしおである(その後、名人を失冠するも2004年に復位、2008年失冠)。
 その名人が数年前から研究用として使っていただいていたのが、この駒である。概してプロ棋士は、「対局で長時間目にふれるから虎斑や根杢などの派手な駒よりも、赤柾のような目に疲れない駒が好まれる」といわれている。この駒は根杢の派手な木地だから観賞用にはよくても、使っていただけるかと少し危惧していたが、以前お会いしたときに実際に研究用として使っていただいているとおうかがいした。これこそ作者冥利に尽きるというものだろう。
 最後に余談であるが、この駒を差し上げたとき記念に一局(飛車落ち)指していただいた。当時の森内八段に緩めていただいたことも、今は懐かしい思い出である。

棋譜は▼棋譜ページへ

※棋譜ページ(▼日付順)を開いて、「増山四段VS森内プロ八段」戦を選択してください。


 私の好きな「使われてこそ名駒」ではないが、森内名人にさらに使って育てていただき、また会えるのを楽しみにしていたところ、2006年5月に別項の『将棋駒の世界』のため、新たに写真を撮り直さしていただくことになり、この「水無瀬」に出合うことができた。名人の研究の賜物なのか、いい味に育っていたのには、作者としてうれしいかぎりである。

■「水無瀬」の由来

水無瀬兼成の中将棋の駒(玉と歩)。

 16世紀末に「将棋駒の銘は水無瀬家の筆をもって宝とす」といわれたように、能筆家で知られた公家の水無瀬家が4代にわたって駒銘を書いた。特に水無瀬兼成(かねなり)とその孫の兼俊(かねとし)がよく知られ、現在の大阪府三島郡の水無瀬神宮にその作品が残されている。もちろん当時は盛り上げ駒の製法はなかったから、漆による書き駒だ。これらの水無瀬駒は、駒木地も現代とは異なりかなり大きくまた肉厚であった。
 ちなみに右写真の「玉将」と「歩兵」は、熊本市本妙寺にある加藤清正公遺愛の中将棋のもの。これも水無瀬兼成の初期の作品と考えられている。この駒の復刻版(中将棋水無瀬書)をかつて私は作ったことがあり、それを元に「清正好」(清正遺愛)という、普通の将棋駒の書体も制作した。また、「水無瀬」に関連した市販されている書体としては、他に「水無瀬兼成」「古水無瀬」などがある。
 ただし、古来からのも含め紹介したいずれの書体も、プラスチック駒などで一般的によく知られている「水無瀬」とはかなり異なっている。私の制作した写真(上)のなじみ深い「水無瀬」は、実は出所ははっきりしていないのである。
 先の水無瀬駒の書体を、多くの駒師たちが何代にもわたって駒字として洗練し築き上げたものではないかと推測できるのだが……。実例としては、豊島龍山が駒として残している「水無瀬大納言兼俊卿筆跡」も、そのひとつと考えられる

 

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