関白秀次(花押)島黄楊斑入り柾書き駒
増山酔棋作(第420作)
松枝正義氏所蔵
※「フォトライブラリー」に行って、「▼書体への誘い」の420を見ると、もっと大きな写真が見られます。
本来は双玉だが、さらに「王将」を加えた。 | かなり厚めで角度もある「水無瀬形」。 |
豊臣秀次の花押(自署の代わりに書く記号)。 |
下記の「由来」でもふれていることだが、約400年前に残された水無瀬兼成作と思われる「水無瀬駒」の一つから触発されて、「酔棋流書き駒」(▼別項参照)で作った。
最初は手元に残しておくつもりであったが、どうしても譲ってほしいという方がいらしたので、その方の意見も取り入れ新たに字母紙も起こし、上写真にあるようにさらに「王将」を加えた。また、下にも書いたように残された駒にはもともと駒銘がなかったので、新たな駒銘も譲ることになった方と相談し、結局由来から「関白秀次(花押)」ということにしたものである。そこで、後日その由来の主である豊臣秀次(2代目関白)の「花押(左写真参照)」を探し出して、駒銘に入れた。
ちなみに、この駒は書体の復元だけではなく、駒形も肉厚の「水無瀬形」にした。私(酔棋)はもともと駒木地を作っていないので、ある駒師にお願いして特別に作っていただいたものだ。私が最初に作った書き駒(1993年)は、「淇洲島黄楊板目書き駒(第117作)」(「あの駒は今・1.新宿ゴールデン街に駒音がする―将棋酒場「一歩」/▼別項参照・この項目の中の下のほうに掲載)で、以来かなりの数を制作してきたが、私としてはこれまで作った書き駒の決定版の一つのつもりでいる。それなので駒銘の作者としては通常「酔棋作」で入れているが、「増山酔棋作」と名字をわざわざ入れたものである。
同じく水無瀬駒の中将棋をもとに作った書体は、「清正好(清正遺愛)」で「書体への誘い・第207作(▼参照)、第230作(▼参照)、第372作(▼参照)」に掲載しているので、そちらとも比べていただきたい。
上に書いたように、「関白秀次(花押)」とは私が名づけたものだが、実物の駒(下に掲載した写真/水無瀬兼成作と思われている)は、現在でもみなさんにもご覧いただけると思う。というのは、千葉県野田市にある「関根名人記念館(下段で紹介)」に展示されているからだ。その「関根名人記念館」の詳細情報は、同じ「書体への誘い・13関根名人書」(▼別項参照)をご覧いただきたい。
下の写真の駒は、江戸時代の将棋家元・大橋家に代々伝承され、昭和初期に木村義雄十四世名人が譲り受けたもの。その後、大阪の「将棋連盟の博物館」に寄贈されたが、現在は博物館もなくなったので、木村名人の師匠でもある「関根名人記念館」に収蔵されている。
下の写真(左)のネームに「伝・関白秀次愛用駒」と書いたように、2代目の関白・豊臣秀次の愛用した駒といわれている。ただ、残念なことに駒銘には何も記されていない。多くの駒師にとっては、水無瀬兼成卿の作ともされ、歴史的、その完成度、いわれなども含めてお手本といっていい原点の駒でもある。黄楊の駒木地に漆書きされたこの駒は、間近に見ると歴史の重みとともにその技と伝統がひしひしと伝わってくる。駒好きなら、一度は実物をぜひ拝見することをおすすめしたい。
「伝・関白秀次愛用駒」として伝わった実物。 |
駒箱は、葵に桐を組み合わせた高台寺蒔絵。 |
開館時間:午前9時〜午後5時 休館日:火曜日(祝日の場合除く) 所在地:野田市東宝珠花237-1 いちいのホール5階 詳細はHP:http://www.kanko-nodacity.jp/meisyo/kimagase-b.html |