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1.新宿ゴールデン街に駒音がする―将棋酒場「一歩(いちふ)」


別カット

清安書島黄楊根杢盛り上げ駒
酔棋作
(第140作)
「一歩」所蔵

1994年制作だが、1998年に「一歩」にお祝いで贈呈。
玉将の裏に「一歩」、王将の裏に「十周年」と入れた。

「一歩」開店十周年のお祝いに!

 この「清安」は、クスノキ製の駒箱にふだんは収まっている。友人と一緒に「一歩」に私(酔棋)が顔を出すとき(軽く飲んで将棋を指す)は、いつもこの駒で指すことにしている。もちろん私専用の駒というわけではけっしてないのだが、お客さんのほとんどは、下記のもう一つの駒「淇洲」で指すことが多いようだ。
 日常的に使うのは、書き駒の「淇洲」で、ちょっとよそゆき(特別な対局)なのが、盛り上げの「清安」ということなのだろうか。もちろんママ(吉田純子さん/下記写真)をはじめ、誰もそんなことを決めたわけではないのだが、何となくお客さんに伝わっている、暗黙のメッセージなのかもしれない。この駒の作者であり贈呈者でもある私は、特別に許されていると思うと、うれしいやら恥ずかしいやら、何ともいえない気持ちにさせられる。
 この「清安」は、宮松影水作のものをもとにして作った。ちなみに「書体への誘い・源兵衛清安」に掲載している「清安」(金井静山作がもと)とは、名称は同じでもまったく違った書体に見える。むしろ、「作品ライブラリー」で掲載している「龍山安清」(私の日常的に使っている駒)のほうに、似通っているかもしれない。
 「一歩」に来るお客さんは、当然なことに普通のサラリーマンも多いが、将棋のプロ棋士のみならず碁の棋士も多く現れる。ママの吉田純子さんは、初段の棋力で、たまに観戦記なども書いたりする女流アマだ。
 そんなママが店を始めて十周年(1998年)を迎えたときに、一つの記念として以前に作って手元に置いてあった「清安」の玉将と王将(上の写真参照)に、店名などを彫り埋めで入れて差し上げたものである。


◆飲みながら指しても、駒はけっしてなくさない

「一歩」の駒形看板のすぐ脇が入り口。
沖縄出身の吉田純子ママ、棋力は初段。

ゴールデン街の一角に

 バブルのころは東京・新宿のゴールデン街も、地上げ屋のせいでいくつか空き店が増え、どうなるかなと思っていたが、最近ではかつての盛況を取り戻しているようだ。小さな飲み屋がひしめき合って、夜中いや朝方まで千鳥足の酔客が、あっちをウロウロこっちをウロウロと闊歩している。
 全部で200軒近くはありそうな飲み屋街の一角に、白い駒形看板の「一歩」が目に入る。ゴールデン街にはよくある小さな飲み屋(カウンターの椅子が9脚、ボックスが1つ)で、2003年9月で開店15周年を迎えるという。夜の7時開店で原則は深夜の1時閉店だが、閉店時間を過ぎても飲んでいたり、将棋好きの客が指していることもたまにある。ママひとりの店だから、ママの気分次第で閉店時間も変わるようである。
 ママが沖縄出身だからか、ビールやウイスキーの他に、カメに入った古酒(クースー)もある。普通のサリーマンが常連客のメインにはちがいないが、この土地柄に合った一風変わった客も訪れる。その混沌さが、まさにゴールデン街らしいところなのかもしれない。ママを含めた常連客で、お花見の屋形船や将棋大会などもかつてはよくやっていたから、ファミリー的な飲み屋の一面もある。その分一見の客にはとっつきにくいこともあるが、姉御肌も持ち合わせているママに任せておけば大丈夫である。

淇洲島黄楊板目書き駒
酔棋作(第117作)
「一歩」所蔵

上記で紹介したいつもお客さんが使っているのが、この「淇洲」である。私が制作した初めての書き駒だ。
 1993年に書き駒の強度を調べるためもあって、「一歩」に差し上げたものだ。以後20年以上にわたって、お客さんたちが代わる代わる毎日指しているといっても過言ではないだろう。
 上の駒銘写真をご覧になっておわかりのように、真ん中の「漆書淇洲」の「書・淇」の字の漆が半分飛んでしまった。だが、駒銘を除けばそれほどの損傷もなく、現在でも十分に対局に使えている。つまり、書き駒でも通常使うのには問題がなさそうなことが、この駒で証明できたわけだ。
 ある意味では、それこそ私の好きな「使われてこそ名駒」を、実践している駒なのかもしれない。「一歩」のお客さんたちが育てている駒といえば、上記のよそゆきな「清安」ではなく、この駒のような気がした。


20年指しても大丈夫

  いくら飲みながら将棋を指すからといっても、「一歩」ではママが客に励行しているそれなりのルールがある。
 「駒箱から出して使った場合、必ず駒の数を確認してからしまうこと」「駒には酒やビールをこぼさないように注意すること」「みんなで仲よく使うこと」などである。
 以上のことを励行して、酔客がちゃんと守っているかと思うと、ちょっと苦笑い。盤上から、文字どおり「1歩」(ここでは1枚の歩)飛んだだけで、男たちが右往左往してその1枚を捜す姿は実にほほえましい。ママの将棋に対する情熱と、お店を取り仕切る責任感がそうさせているのだろうか。
 私が店に顔を出すと、「1枚も駒はなくなってないからね」と必ずママはひと言いう。差し上げてから20年もたっているのに、1枚もなくすこともなく、損傷もたいしたことがないというのは、ママの思いがこの「淇洲」にこもっているのかもしれない。私も思わずコマーシャルではないが、「20年指しても大丈夫」と言いたくなった。
 ※2008年、「一歩の20周年」祝いとして「源兵衛清安(第298作)」を新しく作って差し上げた。現在ではその駒を使うようにしている。古い「淇洲」は、傷みもひどくなってきたので、作り直して「一歩」の常連さんに差し上げた。

唯一のボックス席が対局場に変わる。谷川浩司竜王(当時)とママのツーショットの写真の前で。
ママの対局相手は、この店の常連客の一人北野豊氏。棋力は三段だから、ママが苦しいかな(?)。


ごま油の香りがする駒

 もうかなり以前のことで私が店に行ったら、ママが「毎日使っているので、ちょっと汚れてきたから何とかならないか」と私に言った。そこで、この「淇洲」の汚れをとって磨くことにした。とはいうものの、道具や椿油がここにあるわけもない。

 ――ついでにみなさんも知っておいたほうがいい、汚れた駒をきれいにする情報をここで紹介しておこう。まず牛乳(水はダメ)を小さな小鉢に入れ、ティッシュにつけて駒の汚れをとる。すべての駒をやってから、次に油(椿油かクルミ油)を同じようにつけて磨き、最後に布でカラぶきをする。これでかなりきれいになるはずである。ただし、これは汚れた駒に行う適切な方法で、通常の駒の手入れには油をつけず(油のつけすぎはよくない)に、布でカラぶきが一番である。油を使うとしても、たらす程度(1、2滴のごく少量)で十分である――

 お店だから、牛乳はあったのでとりあえずそれで汚れを落とした。 しかし、椿油はない。そのままでは油っ気が足りなくなる。そこで、料理に使っているごま油を代用することにした。色の具合も飴色で駒にはよさそうだが、ただし駒にごま油の香りがついてしまった。しばらくは匂ったが、数日後にはその香りもすっかりなくなった。
 これが、「一歩」でごま油の香りがする駒の裏話である。
 今夜も遅くまで、ゴールデン街の一角に駒音が響く……。

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