関根名人書ブライヤー杢盛り上げ駒
酔棋作(第138作)
展示即売会にて販売
上写真の駒は、1994年3月に行った「将棋駒展示即売会」で、ご来場なさった方にお譲りしたものである。以来20年以上にもなるから、どんなふうに育った(?)か知りたいもので、所有者に関する情報がおありの方は、私(酔棋)までご一報いただければありがたい。
この駒木地はブライヤーという材で、通常はパイプなどに使われ、地中海沿岸に自生する、ツツジ科の落葉潅木(エリカの近縁種)の木の根塊だという。この材で作ったのはこれ一作しかないし、かなり前のことであまり覚えていないのだが、黄楊に匹敵するような緻密質でもあり、なかなかいい駒材だと感じた。
黄楊以外の駒材では、私が作るのは黒檀や紫檀が多い。ただし、それらは黄楊と異なって多孔質であるため、あまり彫るのには向かない(彫り跡がきれいにならない)ので、私は書き駒としてたまに作ることがある。しかし、ここに掲載したようなブライヤーなら、彫ってもおもしろいので、彫り駒や盛り上げ駒にしても十分に対応できるとことだろう。
駒字としての「関根名人書」は、比較的オーソドックスで駒の判別もしやすく、なおかつ作りやすい書体の一つでもある。桂馬の「4つの点」が一本の「一」に略されているのが、何といっても一番の特徴だ。
この「関根名人書」という書体は、将棋そのものをよくわかっている人の書であるといえるのではないだろうか。
その書体名と、下記の字母紙や『十三世名人・関根名人記念館』のコラムをご覧いただければおわかりのように、江戸期から連綿とした世襲制の最後の名人、十三世名人・関根金次郎(1868〜1946年)がその由来である。
将棋の関根といえば、伝説の将棋指し・阪田三吉(贈名人・王将)がすぐに思い浮かぶ。その阪田由来の書体は、別項「書体への誘い・阪田好」をご覧いただくことにして、ここでは関根に絞って解説していくことにする。
関根には下記の「関根名人記念館」に見られるように、掛け軸や盤裏などに多くの書が残されている。だから、書に造詣が深かった関根自らが、駒銘を書いて残したとしても少しも不思議はないのだが、どうやら事実は少し違うようである。別項「名工の轍・豊島龍山」で紹介している、その龍山こそが「関根名人書」の実際の主だとされているのだ。
1936年(昭和11年)、関根の兄弟子・小菅劍之介先生(のちに名誉名人)のもとに、将棋界の大同団結とされる「将棋大成会」が創立された。その記念に、関根が龍山に駒を依頼し、そのときに龍山が関根に代わって駒字を書き「関根名人書」としたのが真相であると、龍山の遺族がのちに証言している。龍山が残した字母紙と、下記に掲載した関根自身の書を比べていただきたい。
先の「名工の轍・豊島龍山」に掲載している「関根名人書」が、その記念の駒の一つで王将の裏に彫られた文字の中で、「冠峰山人寄贈」の冠峰山人とは、大同団結に尽力した小菅名誉名人のことだといわれている。
通常の書とは異なって、書を駒字とするのには独特の制約や慣習があって、なかなか難しいものがある。だからこそ、棋士でもあり駒師でもあった龍山が、関根の当時の意図や書を十分に汲み取って、駒銘に仕上げたものだと思われる。
「十三世名人関根先生」と書かれている豊島龍山の字母紙。 |
十三世名人・関根名人記念館
記念館をひとめぐり2004年の6月に、私(酔棋)も友人たちと一緒に来館してみた。そこで、所収されている貴重な資料などを、記念館の了承を得てここにも一部掲載することにした。
館内には、数々の関根名人の資料が並べられている。愛蔵の盤や駒をはじめ、関根の書が収めれた掛け軸や額、写真や新聞などの資料、また珍しいものとしては関根自身がしたためた免状などもある。 静かに参詣
『関根名人記念館』のすぐそばに、関根名人の生家と「関根金次郎之墓・記念碑」がある。せっかくここまで来たならば、足を延ばしてみたいスポットだ。
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