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書体への誘い 26 金龍(花押)<きんりゅう(かおう)>



金龍(花押)島黄楊虎斑書き駒
酔棋作(第430作)
石井良明氏所蔵

原本の「金龍(花押)」も双玉であった。 裏を見るとやや縦に流れる「虎斑」。

※「フォトライブラリー」に行って、「▼書体への誘い」の430を見ると、もっと大きな写真が見られます。

「金龍(花押)」を再現

元の「島黄楊虎斑」の駒木地。 駒字を転写した。 完成した「金龍(花押)」。

銀杏面。「関根名人記念館」展示。

 下記の「由来」で詳細はふれるが、もともと「金龍」は書体名ではなく作者、つまり作った者の号であった。
 それらの残された駒は、現在でもネットオークションなどで、たまにだが出品されることもある。2018年の春くらいだったと思うが、私(酔棋)自身ももちろん初めて見る表裏ともに独特な隷書の実に珍しい「金龍(花押)」の駒が出品された。その駒は面取りが「銀杏面」という、独特の方法がとられていた。左写真の駒は、拙著『将棋駒の世界』(▼別項参照)の「P107掲載」牛谷露滴作(名工・豊島龍山の前に駒を作っていた)にも施されている同じ「銀杏面」。
 それを私の駒の依頼者でもあり、影水(▼別項参照)をはじめとする駒の収集家でもある友人が、ネットオークションで先の駒を入札を考えていたのである。そこで、その友人が私に連絡をしてきて、その駒の判断を尋ねてきた。もちろんネットであるから写真でしか判断できないが、見た限りではその書体も、従来拝見してきた通常の書体「金龍」と比べて数段によく、なかなかのいい味わいであった。とくに「竜王・龍馬」などが個性的で、かなり魅了された。その友人に「できれば落札して入手すれば」とすすめたのだが、チャレンジはしたものの残念ながら落札はできなかった。そのときの写真から新たに字母紙を作り、駒にしたのが上写真の今回の「金龍(花押)」となる。
 隷書や篆書を主に好んで、私に駒をよく依頼してくる別の方が、この駒の依頼主である。製法は、すっかりおなじみとなった「酔棋流書き駒」(▼別項参照)だ。その簡単な制作工程は、すぐ上の写真をご覧いただきたい。独特の面取り「銀杏面」は、再現できなかった。
 原本となった「金龍(花押)」も、漆の経年によってか、古びた感じが見て取れた。そこで、今回の作った駒も、「朱合漆+呂色漆」のブレンドを使って、古色を表現してみたのだ。その雰囲気がどのように見えるかは、ご覧になった方にお任せしたい。

■「金龍」の由来

「駒関連資料館・27.金龍彫り駒」(▼参照)

 江戸時代末期に流行したとされるのが、金龍作の駒。つまり「金龍」は、書体名ではなく作者名である。
 初代・金龍は斉田小源太という武士で、その初代から「金龍」の号を譲り受けたのが、同じく武士で二代金龍・甲賀氏治である。流行したのは二代とされている。
 推測の域は出ないが、その後、後継者によって明治期くらいまで、金龍作の駒は作られたと思う。左写真の駒は、駒銘を見るとただ「金龍」とのみ漆で太字に書かれていて、書体名はない。このような彫り駒は、かなり残されているのではないだろうか。
 「名工の轍」(▼別項参照)で紹介しているような駒師たちに、「金龍」は書体名として広まっていったと思われる。この『駒の詩』の中にも、「駒関連資料館」には、「4.金龍彫り埋め駒・信華作(▼参照)」「13、金龍書盛り上げ駒・龍山作(▼参照)」があり、また「名工の轍・木村文俊(▼参照)」の下段には「金龍書盛り上げ駒・木村作」もある。
 現代駒師にはあまり作られなくなった「金龍」だが、歴史的由来などからすると、もっと多く作られてもいいと感じるのは、私だけでもないだろう。今回の表隷書・裏篆書の「金龍(花押)」をきっかけに、古来の「金龍」にも目を向けてほしいものだ。


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