無劍島黄楊柾目書き駒
酔棋作(第168作)
馬渡耕一氏所蔵
変わった書体に色漆の書き駒
「無劍」を手に馬渡さん。 |
私(酔棋)が作る独特の書き駒の製法が完成したのが、1993年ころであった。別項の「あの駒は今・1.新宿ゴールデン街に駒音がする」の中で紹介している「淇洲」(第117作)がその書き駒の第1号である。以来、書き駒の作り方は少し工夫したりはしているが、そのときの「淇洲」と現在でもそれほど変わってはいない。
よく書き駒を作っていた時期の1996年に依頼されたのが、今回紹介する表緑・裏赤の色漆を使ったこの「無劍」である。このような一風変わった作りは、依頼者である馬渡耕一氏も後でふれているが、同じく別項の「あの駒は今・4.読者プレゼントは風変わりな書き駒」で紹介している「淇洲」(第121作)と同様である。
書体の「無劍」は、表が隷書で裏が篆書という駒字自体も相当な変わり種だ。この書体そのものの詳細は、別項の「書体への誘い・12無劍」をご覧いただきたい。
※今回ここに掲載の写真は、「無劍」の所蔵者である馬渡氏がすべて撮影したものであることをお断りしておく。また、下記の文章は、私が少し手直しはしているが、馬渡氏ご自身が寄せてくれたもので構成してある。
「無劍」を並べ初手を指す。 |
私が将棋を覚えたのは2007年から35年前、小学校4年生のときであった。
将棋好きの祖父と毎日のように指していた。脚付き二寸盤に略字彫りの黄楊駒。友人たちとはスタンプ駒で指していたから、年季の入った祖父の駒は、子供心にも高級品に映った。
六枚落ちでも初めは勝てない。口惜しくて泣いた記憶も生々しい。ようやく3連勝して四枚落ちに進めるも、3連敗して再び六枚落ちに。その繰り返しで、二枚落ちに進んだのは中学に入ってからであった。今から考えると、祖父も私のヘボ将棋によくつきあってくれたものだと思う。しかしそのおかげで、私もすっかり将棋好きになっていた。
私が大学に進むころには、すでに祖父を平手で負かせるようになっていた。しかし夏休みに帰省した折、対局する機会もほとんどないまま、師である祖父は帰らぬ人となった。略字彫りの黄楊駒を形見に残して・・・・。
数年後、大切にしまっていたはずの駒が、無残にもカビだらけになっていた。調べてみると、私の留守中にその古い駒を見つけた家政婦が、あろうことか、気を利かせて水洗いしてしまったというのだ。必死に磨いてはみたものの、すでに手遅れの状態。私は泣く泣く祖父の思い出とともに、駒に別れを告げた。
それから私は将棋に没頭した。祖父を忘れまいと、将棋にしがみついていたような気がする。1995年に四段免状を取得した。やっと強くなった自分を祖父に見せたくて、天に向かって祈った。
そのころ購読していた『NHK将棋講座』の連載で駒の魅力に取りつかれ、『駒のささやき』を購入。意を決して酔棋氏(増山雅人)に電話をかけ、駒作りを依頼した。注文生産なら、他人の持たない珍しいものがいい。長崎の「孔子廟」で見た中国象棋の翡翠駒の隷書が忘れられず、書体は「無剣」を選んだ。裏面の篆書もおもしろい。特別に表は緑、裏は赤の色漆を使っていただいた。これはNHKのプレゼント(「あの駒は今・4.読者プレゼントは風変わりな書き駒」)からヒントを得た。世界に一つしかない自分だけの駒が欲しかったからだ。
南小倉将棋クラブ。 |
席主ご夫妻。 |
「子ども将棋教室」で対局する生徒。 |
生徒の第1期生、新成人に。 |
生徒の入れ替わりも多かったが、子どもたちは成長が早い。弟子がみるみる強くなると、教え甲斐もあるし、何よりうれしい。
教室開設から8年後(2006年)、お世話になった「南小倉将棋クラブ」が閉店することになった。それに伴い、子ども教室はカルチャーセンターの1講座として、移転開講することにした。小5で入った第1期生はすでに19歳、立派な社会人だ。棋力もついに私を超えた。新講座では、助手を務めてもらうことにした。二番弟子は高校竜王戦で大活躍を見せた。師にとって、弟子が自分を超えることほどうれしいことはない。祖父の気持ちを、ほんの少し、味わった気がした。
2007年、文化学園の発表会が開催された。書、画、華道、舞踊など芸術系の講座が目白押しの中、囲碁は不参加であったにもかかわらず、異色の「子ども将棋」は勇気をもって初参加した。スペースは狭かったが、展示物は古典詰将棋、子どもたちの自作詰将棋、作文、手作りの駒、そして講師秘蔵の駒の写真などを披露した。対局コーナーも設け、チェスや中国象棋も人気となった。ある子の作文に、「将棋を日本中の人に知らせたい」とあったのがとても印象的だった。きっと将来、次世代の子どもたちに将棋の魅力を伝えてくれることだろう。
私にとって一番大切な駒は、他ならぬ愛弟子たちである。
数々の作品展示。 | 小2作、紙粘土書き駒(ストラップ)。 |
応援の一助に
馬渡氏のように各地方で、「子ども将棋教室」を開くなどして将棋の普及に努めている方々もいる。将棋の文化を支えているのは、「名人戦」をはじめとする対局でしのぎを削るプロ棋士のみならず、このようなアマチュアの一将棋ファンが、将棋の文化を担っていることをつくづくと痛感させられた。 |