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書体への誘い 21 玉舟<ぎょくしゅう>


別カット

玉舟書島黄楊柾目書き駒
酔棋作(第346作)
川邉正明氏所蔵

お祝いに「玉舟」を作る

書き駒とはいえ、「玉将」の漆の盛り上げ具合がわかってもらえるだろうか。
「王将・玉将」の裏に名前と号を彫り埋めで入れた。

 高校時代のクラスメイト(所蔵者/川邉正明氏)が家を新築したので、そのお祝いに駒を作ってあげることにした。2013年4月くらいに拙宅の工房に来てもらい、作り直した『酔棋字母帳』(2013年現在約70種類)を見て、書体を決めることになった。
 「せっかく作ってもらうなら、オーソドックスな書体より少し変わったくらいがいいかな」っと、『字母帳』を眺めながら友人は言う。二人の会話の流れで川邉氏が、小唄か何かの号というか名を持っていることがわかった。それは「胡栄舟」という。そこで、私(酔棋)が「それなら『舟』がつく書体があるよ」と言って、「玉舟」の字母を見せた。それをじっくりと見た川邉氏は、「オーソドックスでもなく特徴もあり、かといって指しやすそうだね」と、その「玉舟」に決めたのである。製法はあらかじめ「書き駒」に決めていたが、それなら「王将・玉将」裏に友人の名前「正明」と小唄の号「胡栄舟」(左写真参照)を、記念で彫り埋めで入れることを私が提案し、実現したのである。
 駒が完成したのが6月で、あらためて川邉氏に再度拙宅に来てもらい、記念対局を他の高校時代の友人と指すことになり、『駒の詩』の「将棋大会」(▼別項参照)にも出場(B級)している武澤政博氏も呼んだのである。その記念対局の模様は、下の写真をご覧いただきたい。所蔵者となった川邉氏は3級くらい、一方武澤氏は免状初段。記念対局とはいえ、武澤氏も簡単に負けるわけにもいかない。実戦は序盤から中盤までは順調に武澤氏が優勢に、ところが終盤の入り口あたりで武澤氏が寄せを逃し怪しくなったが、最後は結局武澤氏の勝ちとなった。その後、もう一人の高校時代の友人も来て、4人での楽しい飲み会となったのは言うまでもないことかもしれない。
 この「玉舟」での初対局は、川邉氏にとって負けに終わったが、これからの余生の一助になれば、作った私としてもうれしいことに変わりはない。定年を迎えてから、高校時代の友人たちに会う機会が増えた。肩肘張った社会人から、夢多き高校時代に戻ったからか、損得抜きの友人たちと楽しい時間が過ごせることは、これまたうれしいかぎりである。

新しい「玉舟」を並べて記念対局(左・川邉対右・武澤)が始まる。 腕組みしながら、チャンスをものにしようと考えをめぐらす川邉氏。

 

■「玉舟」の由来

亡き竜真作の「玉舟書」と版木などの道具。

 「玉舟」については、「名工の轍・木村文俊」(▼別項参照)の独特な書体の一つであることしかこれまではわからなかった。だから、拙著『将棋駒の世界』(▼別項参照)にも、「木村の書体で出所不明」書いた。ところがその本を出版し、1年後くらいに出版社を通してある方から手紙をいただいた。
 その手紙の内容は、「駒関連資料館/18 玉舟書(?)島黄楊柾目彫り埋め駒」(▼別項参照)にも書いたが、以下に要約して掲載しておく。

 ――戦前の1940年ころに、木村のところで駒彫りを手伝っていた大学生の岩崎隆真(いわさきりゅうしん) という方が、大学卒業後、真言宗智山派金蓮院の住職となる。その後も副業として、1960年代前半まで彫った駒(玉舟)を、木村に納品していたという。現在でも、隆真の遺族のところには、「玉舟」の字母のハンコが残されている――

 というものである。その岩崎隆真という方は号を「竜真」といい、その作った駒と道具などは現在でも左写真のように残されている。また、隆真の遺族(奥様)が書いた――彫り駒「玉舟」を語る――という文章(原文どおり)を以下に掲載しますので、参考にしていただきたい。

●彫り駒「玉舟」を語る(2013年4月6日)
 竜真(岩崎隆真)は、駒師木村文俊(木村十四世名人の実弟)の外職人として、今から50年前まで「玉舟」の駒を彫っていました。当時
、世に出ている「木村作 玉舟書」の駒は全て真竜の手によって彫られたものと思われます。唯一残っている「真竜作 玉舟書」の駒箱の蓋の裏には「玉舟 皇室献上品となる。真竜その駒を彫る。」と自筆の記録があります。これは、棋士木村義雄から当時の皇太子殿下(今上天皇)の御手許へ届けられたと聞いております。
 木村文俊の駒作りを手伝うこと21年、木村文俊から櫛形の駒木地が届き、それを駒形に切り整形するところから手がけており、駒を彫るところまで請け負っていました。字母印(版木)は竜真自ら彫って作ったものであり、21年の間に玉舟の版木を作りかえております。初期の版木と後期の版木では、字の大きさや王将のハネの有無等の字体の変化が見られます。竜真は字体と駒形(駒木地寸法)とのバランスにこだわりを持ち、また将棋を指すことも好きであったため、デザイン性を特に大切にしておりました。
 また、保管していた資料の中に「椿」と書かれた版木があり、調べたところ「昭玉」の字母印(版木)であることが、この度わかりました。
 現代のように、インターネットで映像が鮮明に飛び交う時代がくることを、当時は誰も想像していなかったことでしょう。投稿された玉舟の駒や昭玉の駒の映像を拡大して見ると、彫りの深さや鋭さから外職人に徹した竜真の矜持があらためて伝わってきます。

 ※上の文章を読むと、たとえ世に名前が出ない影の外職人でも、彫り師としての駒への愛情や矜持が伝わってきて、私も一人の駒師としてあらためて駒に向き合うことを喚起させた。

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