彫り埋めとはいえ、彫りのうまさが際立つ「玉将(上)と歩(下)」。 もしかするとこの彫り埋めは、盛り上げ駒にする前の状態だったのかもしれない。そのため、駒銘が入れられてなかったのだろうか? またこの彫りが、下記に書いた隆真の手になるものと思いを馳せると、古い駒にもドラマが感じられてくる。 |
一見して数十年前の作と思われ、彫りのうまさも垣間見える彫り埋め駒である。上の駒銘の写真を見ておわかりのように、この駒には書体名・作者名ともに入っていない。実物をよく見ても、字の痕跡がまったく見られないので、最初から明記されていなかったと思われる。
であるから書体は不明ともいえるが、この書体がまぎれもなく「玉舟」であることは、駒に詳しい方ならすぐにわかることだろう。「玉舟」といえば、別項「名工の轍・木村文俊」で紹介しているように、駒師・木村オリジナルの書体の一つであるといわれてきた。
たしかに「玉舟」は、木村のオリジナルと思われていたのだが、実はそうではなかったことが判明したので、簡単ではあるが以下にふれておく。
――戦前の1940年ころに、木村のところで駒彫りを手伝っていた大学生の岩崎隆真(いわさきりゅうしん) という方が、大学卒業後、真言宗智山派金蓮院の住職となる。その後も副業として、1960年代前半まで彫った駒(玉舟)を、木村に納品していたという。現在でも、隆真の遺族のところには、「玉舟」の字母のハンコが残されている――