- 酔棋

駒のことなら何でもわかる!!

トップ 作り方 作品 フォト オークション 情報室 書体 名工 資料館 BOOK 掲示板

3.北海の潮風を浴びた駒は甦った―父親の夢を乗せた中座五段の駒


別カット

木村作の駒銘は、このように彫っただけのものが一般的。
上段の3枚の歩は直したもので、下段の3枚は新しく作った駒。

清安書島黄楊柾目盛り上げ駒
木村作(酔棋直し)

中座 真五段所蔵

傷ついた駒は奨励会時代を見守っていた

 この駒は、北海道で漁師(鮭とか蟹)をしていたプロ棋士・中座真五段(2007年七段)の父親が、もともとは持っていたものである。将棋好きの父親は、北海の厳しい潮風の中で、漁師仲間と幾度となくこの駒で対局に興じたことだろう。
 中座五段が生まれる前から、中座家にあったその駒は、20歳ころから将棋を始めた父親が、今から35年前以上に知り合いから購入したものだという。その歳月を経ているためなのか、いつの間にやら歩が3枚なくなり、ところどころ漆が飛ぶなど、かなり傷んでしまって使えなくなっていた。
 やがて郷里の北海道から東京へと、両親から離れ寂しくも大きな志を胸に抱いた真少年は、11歳で奨励会に入会(佐瀬勇次名誉九段門)した。その後、長く苦しい修業の日々を積み重ねて(14年間)、晴れてプロ棋士の四段となったのが26歳のとき(1996年4月)。
 真少年が青年と呼ばれるころに、この木村作(木村文俊)の駒を父親から譲り受けた。傷んで使えない駒ではあったが、父親のまなざしと同じく奨励会時代を温かく見守ってくれていたことだろう。四段昇段を心から喜んでくれたのは、夢が実現した父親はもちろんのこと、この傷ついた「木村駒」も陰で喜んでいたかもしれない。
 ちなみに上の写真をご覧いただくとわかるように、駒木地を柾目としてあるが、「龍王」などはかなり虎斑が出ている。これも木村駒に見受けられる特徴のひとつで、板目や柾目の木地に虎斑や杢の木地が1、2枚まじっているのである。作者・木村の遊び心の表れなのだろうか?

「木村駒」復活への顛末

 木村の駒に限らず、何十年にもわたって使っていると、盛り上げ駒はどうしても漆が磨り減ったり飛んだりと傷んでくる。私(酔棋)は、たまに依頼を受けて、影水(宮松影水)、木村などをはじめ名工の駒を盛り上げし直すなど、修理することがある。
 「駒は作り直すと、もっとよくなる」と生前の影水が言っていたという話を影水の奥さん(号・美水)から聞いたことが、ひとつのきっかけであった。駒を作り直すときに、その作者の駒作りと出合う、いやむしろその作者そのものと出会うような気さえしてくるのである。
 私の友人で駒の収集家の三上勉氏が、中座四段(当時)と指導将棋などを通じて、以前から懇意にしていた。
 「三上さんから、たまたま駒を直せるお話をうかがって、こういうことができるとは知らなかった」と駒を直した当時(今から6〜7年前)を、中座五段(現在)は振り返った。
 三上氏から中座四段の駒(木村駒)の修理を打診された私は、「かなり面倒だと思うから、それなりに期間と費用がかかるけどかまわないのか」と、三上氏に託した。すぐに中座四段は快諾し、修理することになったのが、この駒の復活への顛末である。
 現在では、中座五段の研究会や、新定跡の「中座飛車」を編み出すときに使われていたという。「木村駒」のDNAに「酔棋駒」のDNAを注入し、すっかり生まれ変わり甦った「木村駒」は、これからも中座五段を見守っていくにちがいない。



◆昇段祝いに選んだ書体は「錦旗」


別カット

「錦旗」は、中座五段がこのHPを見て決めた書体。
ひとつの記念として、王将の裏に「中座飛車」、玉将の裏に名前の「真」を入れた。

錦旗書島黄楊柾目盛り上げ駒
酔棋作(第228作)

中座 真五段所蔵

昇段祝いの約束

「錦旗」を使って、中座(右)VS増山(左)の記念対局(飛車落ち)。

 前述の駒の修理をきっかけとして、その後、三上氏と一緒に中座五段と私がお会いする機会も増えた。
 2002年、中座四段は順位戦で成績がよく昇段も確実と思われたころ、昇段祝いとして私が駒を作って差し上げ、三上氏がお祝いの一席を設けるということに何となく決まった。しかし、残念ながら最後で昇段を逃し、結局その会はお流れとなった。
 捲土重来を期した翌年の2003年も、中座四段の快進撃は再び続き、ご存じのとおり4月に五段昇段を果たした。それから昇段祝いの駒を作りはじめ、いろいろと他にも忙しく、2003年11月1日にやっと「昇段祝いの会」(その模様は後出)を、三上氏邸で催すことができたのである。
 その昇段祝いの駒が、「錦旗」(写真上)である。どんな書体で作るか、中座五段はこのHPをよくご覧になって決めたという。引き渡しの当日、飛車落ちの記念対局を私はお願いした。
 この対局の前にも飛車落ちを教わったことはあったが、まだ勝たしてもらっていないので、そろそろお返しをしたいなとは思っていた。当然なことに「駒の鼻薬」は全然効かず(笑い)に、見事返り討ちにあった。つくづく若手のプロは、勝負にはからいことを自覚させられた。
 新しい駒に将棋を教える、「魂入れ」の意味合いもある記念対局でもあったので、私としても気持ちよく(?)投了することができた。

「巨泉流」という飛車落ち戦法で臨んだ、仕掛けの局面。 上手に角捨ての豪腕手が決まり、いくばくもなく下手投了。

棋譜は▼棋譜ページへ

※棋譜ページ(▼日付順)を開いて、「増山四段VS中座五段」戦を選択してください。


3面指しの指導将棋

 ちなみに「錦旗」の写真の下の本は、『横歩取り 8五飛戦法』(日本将棋連盟刊)という中座五段の著書である。その「8五飛戦法」は、通称「中座飛車」とも呼ばれているので、王将の裏に彫り埋めで入れたのである。
 中座五段は、この「錦旗」を研究会などで使うときに、王将と玉将の裏の「中座飛車」と「真」を棋士仲間に冷やかされることがあるという。
 プロ間でも、その「8五飛戦法」の定跡はすさまじく日進月歩していて、本家本元の中座五段も勉強しなければついていけなくなる、状況だという。将棋も駒作りも、どちらも精進が大切なことを私も思い知らされた。
 「中座五段昇段祝いの会」に参加したのは、ご自宅で会を催した三上氏、中座五段、私(酔棋)、駒研の会長・北田氏、駒収集家の松枝氏の5名(写真下右参照)である。
 私との記念対局が終わったあとで、他の3人も3面指しで、中座五段から指導将棋を受けた。三上氏(角落ち)、松枝氏(二枚落ち)は惜しくも負けたが、北田氏(二枚落ち)はからくも勝った。その後、「昇段祝い」の宴を過ごし、楽しい会も終了となった。
 

3面指しでも、よどみがなく中座五段の指し手は鋭い。
中座五段を真ん中に囲み、「昇段祝い」の記念にパチリ。


活躍を支える2つの駒

中座五段の年賀状より。

 2003年11月23日に中座真五段が、中倉彰子女流初段と結婚したのは、すでに将棋ファンならご存じのとおりのこと。その披露宴に私も呼ばれていたが、駒の展示会と日付が重なっていたので残念ながら辞退した。2003年は、中座五段にとって五段昇段と結婚が重なり、忘れられない年になることだろう。
 その華やかな陰に、先の「木村駒」と昇段祝いの「錦旗」も、中座五段のこれからの活躍の支えになることを、これらの駒にかかわった私としても祈念している。
 両方とも、ご自分の研究用として並べたり、研究会などで使っているから、それは間違いのないことだろう。また、ときにはこの駒を使って、ご夫妻で将棋を指す(平手で、その代わり持ち時間などはハンデあり)こともあるという。プロにとっては本当は勉強にちがいないのだが、新婚のお似合いの夫妻が仲よく将棋を指すところを、想像するだけでもほのぼのとしてくる。

あの駒は今トップへ

トップへもどる
駒の詩