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6.棋友が歳月を重ね使いつづける―対局や執筆にも役立った夫婦駒


別カット


錦旗島黄楊板目彫り駒

酔棋作
(第36作)
湯川博士氏所蔵

最近では珍しいという、湯川ご夫妻による対局。


別カット


玉舟島黄楊杢彫り埋め駒
酔棋作
(第77作)
湯川恵子氏所蔵

今なお息づいている駒たち   

使用した駒は恵子さんの「玉舟」。

 後述するように棋書や観戦記者でおなじみの湯川博士・恵子ご夫妻は、私(酔棋)の古くからの棋友である。
 もともとは、旦那である博士さんがある将棋雑誌の「棋友を求む」の読者の案内に、同じく出版関係の仕事をしていた私が応募したのが始まりであった。
 私自身が指し将棋に夢中になっていたころで、当時はまだ駒作りをする前であった。知り合ったころ仕事の同僚であった博士さんが、最初は奥さんに将棋を教えたという。のちに女流アマ名人となる恵子さんも、まだ棋力はそれほどでもなく、角落ちや飛車落ちで私もよく対戦したものだった。現在では、平手でも私のほうがおそらく分が悪いかもしれない。
 私と知り合ってから間もなく博士さんは出版社を辞め、その後執筆をはじめとする将棋関係の仕事に就くようになっていく。また、恵子さんも女流アマとして活躍したのちに、将棋と囲碁の観戦記者として現在も執筆活動をしている。
 上の写真は、 2005年の夏に湯川宅に私が訪問し、駒の撮影とともに久しぶりにご夫妻で対局していただいたものだ。
 私が駒を作りはじめて初期のころ、博士さんに上記の「錦旗彫り駒」を差し上げた。それからゆうに20年以上たっていると思うが、久しぶりにその駒に対面すると、駒の出来そのものは別としても、どことなく懐かしささえ喚起させてくる。また、博士さんのその間の将棋への思いや苦悩が垣間見えてくる気さえしてくるから、実に不思議である。博士さんの手にすっかりなじんだ「錦旗」は、作者の思惑を超えて、使われて何ともいえない味わいに育っていた……。
  ご夫妻の対局に使われた駒は、私が恵子さんに差し上げた「玉舟彫り埋め駒」である。ちなみに「玉舟」は、別項の「名工の轍・木村文俊」で紹介しているように、木村の独特の書体だ。制作したのは、先の「錦旗」より5年ほどのちで、こちらのほうが製法や駒木地は格上なのだが、あまり使われていないためなのか、駒としての味わいはまだこれからといったところかもしれない。
 縁あってふたりに差し上げた駒が、歳月を経てもこのように今なお湯川家に息づいているのは、作者としてもうれしいかぎりである。
 なお、これらの2つの駒の駒銘「酔棋作」は現在使用しているものとはまったく違っているが、「このような駒銘を使っていたな」と私も当時を振り返ってみた。


◆湯川ご夫妻の仕事フィールド

多芸多才な旦那さん 

盤駒を脇に置き、ただいま執筆中の博士さん。

 博士さんの将棋関係の仕事の変遷は、かつての将棋雑誌『竅x(このとき私も少しご一緒した)を皮切りに、『将棋ジャーナル』の編集長を務め、その後「将棋ペン倶楽部」の代表幹事としても活躍し、その間に、以下のように多くの棋書も発刊している。
 最初に執筆した『ここで将棋に会いました』(情報センター)をはじめとし、 『奇襲大全』(週刊将棋)、『奇襲!!将棋ウォーズ』(屋敷伸之監修/高橋書店)などの単行本の他に、エッセイや観戦記も手がけている。
 ことに『奇襲!!将棋ウォーズ』は、かなり以前になるが私が編集したもので、この本を前にすると、そのときの博士さんの独特の生原稿の字(当時はワープロやパソコンで書いていなかった)が、ふと甦ってくる。
 博士さんは実に行動的な方で、将棋の他にもいろいろと多彩である。私の知るかぎりでは、詩吟、カヌーにも凝っていた時期もあった。また、チェス(『チェックメイト』発行人)や紙芝居(蛙の会)でも活躍。現在では、落語にかなりのめり込んでいるようだ。
 その落語は「仏家シャベル」という芸名も持ち、素人はだしというより定期的に高座にも出演し、社会人落語家といえるだろう。ちなみに、その芸名は「ほっときゃしゃべる」というところから名づけられたという。博士さんをよく知る方には、納得のいく芸名といえるかもしれない。

奥さんは元女流アマ名人

湯川博士著
『奇襲!!ウォーズ』
(屋敷伸之監修)
湯川恵子著
『定跡破り!!勝つ将棋』
(塚田泰明監修)

パソコンで執筆中の恵子さん。

 上写真の書籍が、かつて私が編集したいずれも高橋書店刊の湯川ご夫妻の著書だ。プロ棋士が監修で、ライターが著者というスタイルの先鞭をつけたシリーズでもある。もう10年以上前になるから、現在ではいずれも廃刊となっている。
 『定跡破り!!勝つ将棋』は、恵子さんにとって初めての著書であったので、その本のカバーに使用した先の「玉舟」を、記念に差し上げたのである。
 恵子さんは先述したように、1976年に女流アマ名人を獲得して以来、通算5回もその栄冠に輝いている。指し盛りのころの恵子さんの将棋は、女流真剣師ばりの迫力があった。もっとも今もそうなのかもしれないが、ここ数年は私も指してはいないので、当時の感想にしかすぎないが……。
 アマの指し将棋で活躍したのち、エッセイや観戦記をおもに執筆し、さらに将棋界のみならず、囲碁界にも執筆のフィールドを広げて、そちらの観戦記なども担当している。2006年3月には、『囲碁・将棋100の金言』(蝶谷初男氏と共著、祥伝社新書)を出版。
  同じく「あの駒は今」の別項5.誌上対局での勝利の陰に」でも、恵子さんの書いた『週刊ポスト』誌上の観戦記を少し紹介しているので、ご覧いただきたい。この雑誌の観戦記は20年ほど続いたが、惜しむらくは2005年6月にこのページは終了してしまった。

【新刊のお知らせ】

湯川博士著
『大江戸将棋所・伊藤宗印伝』
(小学館文庫)

 湯川博士さんが、2006年5月に新刊を出した。江戸期の将棋五世名人・伊藤宗印についての時代小説(左写真)である。
 その文庫の「あとがき」から、著者の文章を以下に少し抜粋して紹介する。

 「数年前、江戸時代の天才兄弟棋士の伝記を書いてみないかというお誘いをいただいた。さっそく調べてみたが、兄弟を産み育てた父親の資料がない。その父親である二代・伊藤宗印に興味を持ち調べていくうちに、この人を書こうという気持ちになった。以来数年にわたって調べを進め、同時代の事件などを絡ませた物語を紡いでいった」
 「お話をいただいてからすでに四年近く経ったが、なんとか将棋の歴史小説らしきものが出来上がった。筆者は三十年近く将棋関係の出版に関わってきて、いろいろな角度から将棋を書いてきたが、時代ものは初めての経験である。文章の巧拙はともかく、なるべくその時代を飾らず、素材として読者に提供できたらと思い、執筆した」

出版記念の会場で、本を手に。 一生懸命、新刊にサインを。

 2006年5月上旬に、上記の文庫本の出版記念会が東京の将棋連盟で行われた。
 大勢の来場者も訪れ、少し将棋を行ったあとに懇親会が催された。 その会場に私も駆けつけ、そのときの模様をカメラに収めた。

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駒の詩