このホームページ上においては、「竹風作」の駒は初めて紹介することになる。どこの盤駒店に行っても、まず「竹風作」の駒は置いてないといわれるほど、知られている作者でもある。駒好きなら、1組以上は必ず所蔵しているといっても過言ではないくらいである。
それではあらためて、「竹風」という駒師について少しふれておこう。端的にいうと、現在も新潟県三条市にある駒工房が、「竹風」駒の産地である。もともとは初代・竹風こと大竹治五郎(おおたけはるごろう、1914〜2006年)が東京で駒木地を作り、駒師に卸していたのが始まりである。やがて治五郎は、手先が器用だったからか、見よう見まねで駒作りを覚えていく。戦災で家を焼かれた治五郎は、父親の故郷・新潟県に戻り、居を構えた。2代目の日出男(1944年〜)とその弟・健司(1954年〜)が、親の後を継いで駒師となった。つまり、大竹家の家族的駒工房こそが、「竹風駒」といっていいだろう。
上写真の「水無瀬兼俊」は、2代目・竹風(日出男)の作である。竹風工房の駒は、ほとんどの書体とともに彫り駒から盛り上げ駒までいろいろと作っていて、なおかつ新しい書体(中国の書家など)や、水無瀬家由来(「書体への誘い・水無瀬」▼別項参照)と思われる「水無瀬兼俊」「水無瀬兼成」などの古い書体も、現代にも取り入れるなど、チャレンジ精神旺盛な駒工房といっていいだろう。また、初代が駒木地師でもあったところからか、安価なものは板目なども作るが、盛り上げ駒などには高級駒材がよく使われている。駒銘としては「竹風」が一般的だが、「大竹竹風」(上写真)もまれに見られる。
駒好きのなかには、根強い「竹風」ファンもかなりいる。この駒の所蔵者もそのうちの一人で、東京から新潟までうかがって駒を注文するという。「竹風」駒の魅力は、ファンの要望にこたえる家族的駒工房なのかもしれない。