源兵衛清安(左)と清安(右)の「玉将と歩」。 |
数ある書体の中で、最もクラシックな書体の一つとされ、現在でも駒マニアに人気を博しているのが「源兵衛清安」。プロアマ問わず、ほとんどの駒師が手がけている書体でもある。下に少し末広がりになっている駒字は、駒形にぴったりと納まって見える。 実に繊細で、かつ優雅な味わいをもった書体といえよう。
一方の「清安」は、同じく末広がりではあるが、ややどっしりした感じを受ける。そんなところからか、いつの間にやら「源兵衛清安」は「細字の清安」、それに反して「清安」は「太字の清安」と呼ばれるようになった。下記にも書いたように、もともとこの二つの書体の源流は同じではないかとも推測されている。
ちなみにこれらの二つの作品は、まだ「名工の轍」で紹介している、金井静山のものを元字として制作したものである。「源兵衛清安」は虎杢(虎斑の根っこでかなり斑が強いもの)の駒木地にも負けない優雅さがどこまで表現できたかは、作者の私にも気にはなるところだ。また、「清安」は、制作してから10年以上の歳月を経ているので、孔雀杢(くじゃくもく)の駒木地が、えもいわれぬ味わいを帯びてきている。
これらのほかに、「源兵衛清安」の書体のほうを元に、「清安」という駒銘で作っていた名工には、宮松影水、木村文俊らがいる。実に駒マニアにとってはややこしいが、駒銘は一種の目安として考慮すればいいのであって、実際の作品そのもので判断すればいいのではないだろうか。というのは、駒師によって同書体でも、実際に駒になったときは表現が異なってくるものだからだ。必ずしも固定されたものが、駒の書体とはかぎらないのだ。
この「源兵衛清安」は、そのポピュラーさとは裏腹に、江戸時代から伝わる古い書体であることしか判明していない。ただし、「源兵衛」と人名がついているところから、駒師名ではないかと推測できる。また「源兵衛清安」は、「みなもとのひょうえきよやす」とも読めるところから、武士であったのではないかという不確実な説も知られている。
「清安」を裏返したような「安清」(やすきよ)という書体は、同じく江戸時代から伝わり、こちらは実際の駒に『安清造』などと駒銘が入っているところから、江戸時代の大阪の駒師名が源流とされ、それがやがて書体名となったものだろう。
その「安清」も名工たちによって長きにわたって作られてきたが、やはりそれぞれに表現は異なり、現代ではかなり違った書体名としても残されている。たとえば、日本将棋連盟の「関東の名人駒」として知られる奥野一香作の「宗歩好」(そうふごのみ)は、まさにその「安清」が源流ではないかといわれている。
上記と同じく、江戸時代から伝えられた駒の書体名だ。元来は、その当時の駒師の名や号とも考えられるが、事実は定かではない。これも推測の域を出ないが、上記で紹介したように「安清」と源流は同じような気がする。
下記の字母紙は、いずれも豊島龍山のもの。これらにはいずれも「清安」と明記されているが、実際の駒には「源兵衛清安」「清安」と分けられている。
ちなみに、私が対局や棋譜並べで通常使用している駒は、「龍山安清」という駒銘を入れている。それは龍山作の「安清」を元にしたからである。
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両方とも「清安」と書かれた豊島龍山の字母紙。実際の駒銘としては左が「源兵衛清安」、右が「清安」として作られている。 |