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「水無瀬駒」のハンコ
(堅正保夫氏所蔵)


別カット

 

 右のハンコを使って作られたと思われる「飛車」(上・左写真)。駒尻がかなり肉厚で作られている。
 「飛車」のハンコの長さには少し驚きだ(下・左写真)。

 今回取り上げるのは、駒でも駒箱でもない。今から400年前くらいに作られた、「水無瀬駒」の書き駒を作るためのハンコである。それが今なお残っているとは、まさに驚くべきことではないだろうか?
 「水無瀬駒」の由来などは、「書体への誘い・水無瀬」(▼別項参照)をご覧いただきたい。そこにも書いたことをあらためてふれておくと――16世紀末に「将棋駒の銘は水無瀬家の筆をもって宝とす」といわれたように、能筆家で知られた公家の水無瀬家が4代にわたって駒銘を書いた。とくに水無瀬兼成(かねなり/かねしげ)とその孫の兼俊(かねとし)がよく知られ、現在の大阪府三島郡の水無瀬神宮にその作品が残されている。もちろん当時は盛り上げ駒の製法はなかったから、漆による書き駒だ。これらの水無瀬駒は、駒木地も現代とは異なりかなり大きくまた肉厚(左の飛車を参照)であった――。
 最初のころの「水無瀬駒」は、墨書きされた駒字に漆で書かれていたようだが、その後上の写真ような駒のハンコが作られ、書き駒としたことがうかがわれる。ハンコとなった黄楊の材は、堅い木口(木材の年輪が見える切り口)に反転した駒字を筋彫りで彫ったものである。一見すると、まるで金属で作られているような錯覚さえ覚えるような正確さだ。
 このハンコに墨付けし、駒木地に位置がずれないように転写して書き駒を作ったと思われる。ちなみに現在作っている私の書き駒は、「酔棋流書き駒」(▼別項参照)をご覧いただくとおわかりのように、ハンコの代わりに置き目紙を使って行っている。
 「水無瀬駒」も含め古い駒の特徴として、駒字が全体にセンターではなく上に位置していること、またかなり肉厚なことなどもあげられる。「作品ライブラリー・清正好(第372作)」(▼別項参照)で紹介している「中将棋水無瀬駒」にもその特徴が見られる。
 最後となったが、「水無瀬駒」のハンコそのものの作者についてはまったく詳細はわからない。考えられることは、「水無瀬駒」の作者の水無瀬家の兼成、兼俊なのか、はたまた当時にハンコや版木を作った職人に頼んで作らせたものなのか、そのどちらかなのではないかと思われる。

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駒の詩