上写真の駒銘を見ればおわかりのように、2枚とも「安清(花押)」と書かれている。「安清」自体が駒師名でもあり、現代では書体名にもなっているからだ。ちなみに花押は、一種のサインと思ってもらってかまわない。
中将棋そのものがいつぐらいまで指されていたかは、いろいろと説がありはっきりはしない。現行将棋としばらく並列した時期もあったようで、江戸末期くらいまでは普及していたと思われる。
この中将棋駒も、そこで江戸末期から明治にかけて作られたものと推測できよう。
左写真の「玉将」と並べた、「酔象・鳳凰」などは中将棋ならではの駒だ。
中将棋の駒の流れとしては、この「安清」の他に「水無瀬家」の作もよく知られている。別項「作品ライブラリー・中将棋水無瀬書」は、私(酔棋)が復元した水無瀬家の中将棋駒である。見比べてみるのも一興で、昔日に思いを馳せていただきたい。