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『駒の詩』第4回オフ会実況!

2009年4月11日(土曜日)

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第4回オフ会

 ※「第4回オフ会」参加は、第3回個展・第2回将棋大会の運営委員および本田小百合女流二段を含めた引き続き14名と、個展からオフ会のみ参加の4名で計18名でした。将棋大会参加のうちで6名のみなさんが、それぞれご都合がありオフ会には不参加となりました。
 このページの以下のみなさんのコメントは、撮影したビデオから要約したことをお断りしておきます。また、みなさんの写真には、お名前と駒師としての号がある方は(号・  )で入れてあります。参加したみなさん、ご協力ありがとうございました。

宴会の始まり!始まり!

■オフ会参加のみなさんの一言コメント

増山雅人(号・酔棋)

増山 個展や将棋大会には、いつもは関西も含めて遠くからおいでになられる方々も多かったです。でも今回は、この不況下の時代ですから、将棋大会にはA級に参加された藤井さん(大阪から)お一人でした。他にもいらしゃったのですが、仕事の都合などでキャンセルされた方もいらっしゃいます。
 私が書いたパンフレットではありませんが、「今、なぜ駒なのか」と「たかが駒されど駒」で、駒に魅入られた男がいて、それに寄ってくれるみなさんのお力があって、ここまでやってこられました。ほんとうに感謝しています。
 今日の将棋大会も無事予定どおりに進められ、高橋(清)さんが強さを発揮してA級で優勝しました。また、私の高校時代の友人である原田は長いこと病気をしていたのですが、本来はA級に出場するところ、全然指していないということでB級に出場し優勝しました。原田のリハビリのため、月に1回麻雀はしていたのですが、たまに「将棋もどうか」ということで、今回B級に出場したわけです。
 結局、リハビリがうまくいったのか優勝したのですが、そんなわけで原田は賞品の駒は辞退して、B級準優勝の白田さんに渡り、無事収まりました。原田の病気も回復したようで、私もホッとしています。これも、みなさんへの感謝だと思います。
 ならびに、今回の個展や将棋大会の運営も滞りなく、運営委員長の三上さんがうまくやってくれて、なおかつ写真撮影など池田さんもいろいろとやってくれてます。みなさんのお力で、今回の企画も成り立ちました。明日、また一日、個展はやっていますので、みなさんよかったらブラリとお立ち寄りください。みなさん、ありがとうございました。
 それでは北田さん、乾杯の音頭お願いいたします。
 ※パンレットについては、「酔棋制作駒『第3回個展』」(▼別項参照)をご覧ください。将棋駒研究会会長・北田さんは、今回将棋大会にも出場しましたが、それ以外でもいろいろとお手伝いいただき、日ごろからいつもお世話になっています。

北田義之(号・如水)

北田 乾杯の音頭だけか、一言いいのか(一同笑い)
 68歳のじいさんになります。このごろすごく涙もろくなって、そこらでスズメが「チュンチュン」するだけで気になるような年になっちゃって。涙がこぼれるようになってきました。年なんだなぁと。昔はスズメを殺していたりしてたのにねぇ、スズメの声を聞くだけで感動するようになってきました。
 増山君とは、30年以上のおつきあいになります。今日はお招きいただきまして、ありがとうございました(一同笑い)。どっちが先に死ぬかわかりませんけど、これからも切磋琢磨して、一生懸命駒を作っていきます。
 では、増山君のこれらのご健勝と、みなさんのご健勝を願いまして。
 乾杯! 乾杯!(一同)

 ※北田さんと私は、1977年にある駒作りの会で知り合いました。その後少し離れた時期もありましたが、私が「将棋駒研究会」に参加するようになり、よりいっそう絆が深まりました。

本田小百合

本田 みなさん、お疲れさまでした。
 以前『近代将棋』の取材で、増山さんのご自宅に一度おじゃましたことがあります。駒を作っているところを撮影したり、私も駒作りのマネをしたりと、いろいろとレポートさせていただきました。それをきっかけに、私も駒に興味をもつようになりまして、たいへん感謝しております。
 そのあとも、テレビのお好み対局で増山さんが挑戦するとき、聞き手を務めさせていただきました。今回も何か縁かもわかりませんけど、こちらにおじゃまさせてもらうことになりました。
 また駒も、みなさんのお力でいただけることになりまして(一同笑いと拍手)、感謝しております。これを縁に何かありましたら、ぜひ誘っていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
※テレビのお好み対局とは、「あの駒は今 8.小林宏六段に山の仲間から贈られた駒(2007年7月放送)」(▼別項参照)のことです。本田女流二段に差し上げることになった駒は、2007年7月に完成してすでにお渡ししてあります。その模様は、「作品ライブラリー・巻菱湖赤柾盛り上げ駒(第316作)」(▼別項参照)をご覧ください。

原田豊久

原田 増山とは彼が将棋を強くなると、僕もちょっと頑張ってついてきました。
 僕は病気をしまして、ここしばらく将棋を指していなかったのですが、これを機に少しは頑張ってみようと思っています。
 ※次の武澤とともに、原田も高校1年のときからのつきあいですから、ほぼ45年とかなりの歳月を経ました。その間、走馬燈のように日々が過ぎたわけで、麻雀、将棋、旅行といろいろなことを一緒にやってきましたが、あらためて振り返ってみると、驚きに堪えません。
 ちなみに原田は、私のかなり
初期の作品を2作(清定、関根名人書)を持っています。

武澤政博

武澤 増山君とは高校時代からでして、ふだんのおつきあいはさっきも話が出ましたが、どちらかというと麻雀のほうでした。
 将棋のほうはホントにつきあい程度ですが、こういう催しがあると呼んでいただけますので、顔を出させていただいています。成績のほうはさんざんでしたが、これを機会にぜひまた参加させていただきます。ありがとうございました。
 ※武澤にも私の初期作品(淇洲)を、結婚のお祝いとして差し上げています。

 

口とんがらかして、何話してんの? 会長の頭がまぶしいけど飲んで食べて!

植木宣隆

植木 増山さんには、校閲のほうでお仕事をお願いしていまして、長いおつきあいになります。毎年、A級の最終戦を見に、増山さんと一緒に将棋連盟に行っています。最後のスリルのところを、堪能さしてもらっています。
 今回、対局にチェスクロック使用ということで、ものすごくプレッシャーがありました。それでしばらくぶりにですね、先日新宿の「将棋センター」に行ってきました。つぶれているなぁと思っていたら、ちゃんとやっていまして(一同笑い)。なんかこう酒を飲みながらやっていたり、またタバコの煙がモウモウのあの退廃感が大好きで、すごく寄り添ってみたいような気持ちになりました。
 増山さんのおかげです。どうもありがとうございました。
 ※植木さん所蔵の私の作った駒は、「書体への誘い・鵞堂」(▼別項参照)で紹介しています。恒例となった将棋連盟でのA級最終戦に、ここ2、3年は三上さんもご一緒しています。

樋村和己

樋村 将棋駒研究会に参加させていただいています。
  将棋大会のほうは、身のほどわきまえずA級に出場しました。案の定2連敗でしたが、その代わりすぐに指導将棋に回らせてもらい、本田先生に緩めていただき勝つことができました。
 また、機会がありましたら参加したいと思っています。ありがとうございました。
 ※樋村さんは、個展に展示した「長録書ブライヤー玉杢書き駒(第311作)」(▼別項参照)の依頼者でもあります。今回のイベントでは、セッティングなど手伝っていただきました。いろいろとありがとうございました。この場を借りて、お礼を述べておきます。

上村眞一郎(号・江仙)

上村 自称、増山さんの一番弟子です(笑い)
 趣味のほうは、駒作りの他にカエルの研究、歌謡曲のコレクター、あとは切り紙デザインです。あんまり趣味が多いので、定年まで待っていられないということで、5年早く会社を辞めました。
 最近では、作詞作曲したものをコンピュータで出すという作品を作っています。よろしくお願いいたします。
※上村さんは『駒のささやき』(▼別項参照)でも載っているように、オリジナルの書体を得意にしています。
 上村さん自身は、私(酔棋)の一番弟子と言っていますが、少し違うと思います。20年ほど前の少年(現在ではプロ駒師)が一番弟子で、二番弟子が今は亡き漫画家の永島慎二さん(▼別項参照)ですから、上村さんは三番弟子だと思うのですが……。
 上村さんの趣味に興味のある方は、
このホームページのリンク先から上村さんのホームページをのぞいてみてください。

将棋駒研究会のメンバー3人は駒談議。 運営委員の2人は、宴会でも忙しそう。

中沢貞夫(号・蛍雪)

中沢 増山さんの二番弟子になります(一同笑い)
 号をやっと決めまして、「蛍の光、窓の雪」というところから「蛍雪(けいせつ)」とつけました。月に、2組から3組のペースで作っています。定年したのであり余るくらい時間がありますので、1日8時間、週にする6日間駒を作っています。
 始めて5年くらいになりますが、70組くらいは作りました。ホームページも一応立ち上げまして、インターネットでも販売しています。売れた値段からかかった時間を計算しますと、時給800円くらいになります(一同笑い)。それで生計を立てています。
 ※少しはアドバイスしたこともありますが、中沢さんを弟子にした覚えは私にはないのですが……。将棋駒研究会でも、中沢さんは、盛り上げに使う筆や磨きなど、いろいろと素材などを探してくるのに熱心なことで、仲間うちにも知られています。

橋浦洋一

橋浦  今は埼玉・大宮の将棋センターで、スタッフをやらさせていただいています。だから、ドップリと将棋につかっているんですけれども、どうも棋力のほうはご覧のとおり予選落ちということで、まあこんなものなのかなと思いまして……。
 それで、ここにかかわらさせていただいたのは、三上さんを通してです。僕が勝手に三上さんのことを師匠と言っていて、今は駒をせっせっと、収集のほうに回させていただいています。
 もともとは、新潟の大竹竹風さんのところに勝手におうかがいして、作ってもらったりして集めていました。そのうち三上さんの紹介で、増山さんにも作ってもらうように。先日は、増山さんが「この駒は橋浦さんのところに行く駒だよ」ということで、その駒を譲ってもらいました。
 今はその駒を置きながら、ご飯を食べているという感じで……。まあ、こういう人間です。
 ※橋浦さんが言っている駒は、「関東の名人駒」(別項参照)の影響を受けて作った「宗歩好赤柾(第191作)」(▼別項参照)のことです。今回の将棋大会では橋浦さんは予選落ちとなりましたが、かつては全国大会のベスト16に残ったほどの実力なので、かなり謙遜されていると思います。

三上 勉

三上 今回、将棋大会の運営のほうをすべてやってくれということで、やらさせていただきました。みなさん、いかがだったでしょうか? まあまあうまくいったのではないかと、本人は思っておるのですが……(一同笑い、拍手)
 そういう意味でも、増山さんとは長いおつきあいで、私弟子じゃないんですが(一同笑い)。今回も駒の展示会や将棋大会をはじめ、いろいろなことをやりまして。今度、いつやるんですか?(一同大笑い)
 こういう機会がありましたら、またぜひやらさせていただきたいと思っています。どうも、よろしくお願いいたします。
 ※三上さんは、このホームページでもしばしば登場「あの駒は今・5.誌上対局での勝利の陰に」(▼別項参照)していますので、説明はいらないと思いますが、私の大切な駒友の一人です。かつて所沢竜王や朝霞名人になったこともありますので、指し将棋においては「将棋駒研究会」では最強といっていいでしょう。また、銘駒収集家でも、よく知られています。今回のイベントをはじめ、いつも裏方を務めていただき感謝しています。

池田登志男(号・三升)

池田 将棋駒研究会に参加させていただき、10年くらいになります。
 三升という名前で駒を作っていて、今100作ちょっとくらいになります。すべて経歴とか作品数とか、増山さんの3分の1くらいで足元にも及びませんけど、細々とやっています。うまくなりたいなぁと思うんですが、なかなかうまくなりなりませんけど。
 趣味はカメラだとか、今はあまりやっていないですがスキーの指導員だったりと、いろいろなことをやっていますが、どれもたいしたことなくて。頑張りたいなぁと、思っています。だんだん年になってきたので、早く引退してみなさんのようにのびのびと遊びたいと思っています。
 どうぞ、よろしくお願いします。
 ※池田さんは、前回の将棋大会ではA級に出場しましたが、今回はおもに撮影をはじめ、裏方をやっていただきました。ですから、今回のイベントの大半は、池田さんの撮った写真を使わせていただいています。三上さん同様に、感謝感謝です。

お酒の合間に一服。 なんだか、楽しそう!

持田哲太郎

持田 増山さんとは、新宿のゴールデン街の「一歩」というお店で知り合ったので、かれこれ20年くらい前だと思います。「一歩」でも将棋を指しているんですが、飲みながらで薄暗くぼやーっとしたところでやっているもんですから、こういう明るいところでは実力が出ないというのは言い訳でして……(一同大笑い)。ホントはダメなんですが(一同笑い)
 「一歩」で、長沢千和子女流四段の後援会ではないんですが、頑張らせよう会みたいな本拠地になってやっています。今年の1月かな? 長沢四段の300勝獲得のお祝いをしました。ついでに言うと女流の300勝というのは、男性棋士の600勝にあたるくらい棋戦が半分しかないので貴重です。男性の600勝は連盟でお祝いしてもらえるんですが、女流はそうもいかないので、我々でやろうということでやった、ということで以上です。
  ※持田さんが行きつけのお店「一歩」については、「あの駒は今・1.新宿ゴールデン街に駒音がする」(▼別項参照)をご覧ください。2年ほど前、持田さんがお勤めの会社で発行している業界紙に、駒に関するエッセイを私は半年間連載したことがあります。

清水 章

清水 ちょっと将棋もやりかけたのですが、子供が生まれて「小さいものは置いておくな」ということで、片づけてここしばらくはやっていません。将棋とはちょっと遠ざかってしまっています(「一番の若手か!」と北田さんが声をかけました。おじさんばかりの宴会ですから)
 ※清水さんは、このホームページのもとを作成していただきまして、その後の運営も彼の会社「八屋」(リンク先に掲載)で担っていただいています。このサイトがうまくいっていれば、清水さんのおかげというわけです。ホームページをはじめとするウェブ関係のお仕事がありましたら、彼の会社に相談してみてください。

高橋正廣(号・正廣)

高橋 「将棋駒研究会」へ、参加させていただいています。以前、「将棋駒研究会」の展示会用のポスターを作る手伝いをしたら、増山さんから駒をいただきました。それを励みに、駒を作るようになったんですけど……。
 今日は宴会から参加させていただいています。みなさん、よろしくお願いします。
 ※高橋さんに差し上げた駒は、「宗歩好島黄楊柾目盛り上げ駒(第202作)」です。彼が前の会社で、その宗歩好の写真を入れて、コヒーカップにしてもらったものを私はいただいています。

藤井俊哉(号・華俊)

藤井 大阪から来ました。前回の参加者数名に参加の確認をするも、みなさん都合が悪いとのことでした。 当日の朝に、新幹線で上京しました。
 時間に余裕をもって到着したものの、昼食をとるタイミングを逸しました。そのせいというわけでもありませんが、前回準優勝で、今回も準優勝に終わりました(続けて準優勝とは立派で、でもイマイチのところがすごい!・一同大笑い)。よろしくお願いいたします。
 ※藤井さんは、「関西駒の会」の会員でもあり、駒好きならどなたでもご存じの「駒人」(リンク先に掲載)というサイトを運営しています。今回の準優勝の成績からもわかるように、将棋の実力もなかなかのものです。優勝したのが、2回ともアマ強豪なのですから、相手が強すぎるのでやむをえない準優勝といえるでしょう。また、年数のわりには制作数は少ないですが、ていねいな駒作りを心がけているみたいです。

おかしな話でもしているのかな? せっせせっせと食べましょう。

白田昭雄

白田 増山さんとは、20年前くらい前、高田馬場での駒の展示会に行ったときに最初に知り合いました。それから駒を3組作っていただきまして、たまに「一歩」で将棋を指したりもしました。
 今回で4作目となったわけですが、ホントは準優勝なんですが、今日はおかげさまでいただくことができました。ありがとうございました。
 ※白田さんには、いずれも私の初期の作品ですが、次の3組をお譲りいたしました。「巻菱湖流れ赤柾彫り埋め駒(第64作)」「王羲之孔雀杢盛り上げ駒(第65作)」「鵞堂虎斑盛り上げ駒(第74作)」で、いずれも20年ほど前になります。今回は優勝した原田の辞退とはいえ、駒好きの白田さんもとへいくのは、賞品の「清安荒柾書き駒(第304作)」も喜んでいることでしょう。

駒を手に入れた2人もゆったりと。 本田さんとのツーショットで満面の笑み。

 

高橋 清

高橋(清) 増山さんと会ったのは、本田(今回の将棋大会A級に出場)さんを介してだったと思います。ずいぶん前の将棋大会で、優勝して増山さんの駒をそのときいただいています。番号は2ケタくらいの作品でした。
 趣味は将棋なんですけども、駒とか盤とか駒箱とか、道具を見るのも使うのも好きなんです。まあ、天童まで足を延ばして行ったこともあります。ただ、天童で店に出している駒と、東京の盤駒店で売られているものは、なんかレベルが違うのかなと感じました。
 こういう会がありましたら、また参加したいと思っています。どうも、よろしくお願いします。
  ※高橋さんがおっしゃている将棋大会の駒を、手持ちの「駒制作リスト」で調べてみたら、1991年2月「駒作りとその友人たちの将棋大会」の優勝賞品でした。
ちなみにそれは、「新龍彫り駒(第41作)」で、その他にもっと古い駒2作も高橋さんに譲っていました。私も年なのか、昔のことはすっかり忘れていたようです。

上村さんのカエルの話かな? 席も移動して話に花が咲く。

その後も、ワイワイガヤガヤ、終了時間まで楽しい宴会は続きました。

みなさん笑顔、笑顔で、楽しい宴会も終了となりました。

また、みなさん! 次回があれば、お会いしましょう!

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