私の愛用駒「龍山安清の王将」(左)と比べると、この不詳駒は通常の駒の6割しかない。 |
盤の裏に書かれた由来書。▼画像拡大 |
すぐ上の駒銘を見てもらえばおわかりのように、書体名・作者名ともに漆が飛んだものか最初からなかったのか判然とはしないが、痕跡もなくまさに不詳だ。左の写真は、この駒が通常の6割くらいしかないことがおわかりいただけるだろう。つまり、携行用(持ち歩きでき使えるように)に作られた盤駒であることがわかる。これも一種の「雛駒」なのだろう。
書体や作者については想像するしかないが、私の愛用駒・「龍山安清(第195作)」(▼別項参照)と「玉将」がかなり似通っていることがわかる。また、同じ「資料館」の「23.書体不詳(董齊?)・真龍造」(▼別項参照)の「歩兵」とも似ている。そんなところから、この駒は古い書体の「安清」や「董齊」などが関連している思えるので、後で述べる時代背景からしても、「豊島龍山」(▼別項参照)が作った彫り駒とも推測できるだろう。
この駒の持ち主の建部さんは、昭和33年に引退した故・建部和歌夫八段のご子息である。左の下写真を拡大してご覧いただきたい。
盤の裏には、
――この盤駒は昭和十二、三年ごろ故樋口義雄四段から金三円で譲り受けたもので、はからずも同君のかたみとなった。
物が豊富で、安価で、自由だったよき時代の一つの思い出である。――
このようにこの盤駒の由来がしたためられていた。昭和12年ころの3円とは、ネットで調べてみると現在の数万円らしい。そんなところやもともと当時のプロ棋士が所蔵していたことと、彫りのうまさなどからも、たぶん「龍山」が作ったものと推測されるのだ。当時のプロ棋士がこのような盤駒を持参し、将棋を指していたことがうかがえる貴重な資料ともいえるだろう。