この「金龍」の写真は、上の「金龍」を私(酔棋)が盛り上げをし直す前の「金龍」の状態である。それぞれを見比べていただきたい。 写真を見ておわかりのように、直す前から「玉将と王将」のみはそれほど傷んではいなかったが、他の駒はとくに裏が彫り埋め状態にまで、漆がすり減っていた。 |
今さら解説をするまでもなく、龍山作とは、別項「名工の轍」に掲載している豊島龍山のことである。このHPをご覧いただいているこの「金龍」の所蔵者が、私に依頼してきたので、盛り上げのし直しを引き受けたものだ。
「かつての名工たちの駒の修理は、なるべくしないほうがいいのでは」という、銘駒収集家をはじめとして多くの駒マニアが骨董的な価値を駒に抱く、ひとつの考えだ。ただし、「それではせっかくの駒も使われることもなく死蔵することになり、少し残念ではないだろうか」というスタンスで、依頼されれば私(酔棋)はこのような駒の修理も引き受けることがある。
左の2枚が元からの直し、右の2枚が新規制作の歩だ。 |
また、それらの傷ついた駒を直すときに、もちろん生前出会うことはなかったかつての名工たちと、その駒を通じて出会うのもひとつの楽しみにしている。
これまでにもこのような龍山作をはじめとして、影水作、木村作(別項「あの駒は今・3.北海の潮風を浴びた駒は甦った」)なども、いくつかの駒を修理したことがある。
駒をよく修理をしたりするようになったのには、ひとつの節目があった。「駒は修理をするともっとよくなる」と、生前の影水自身が語っていたことを、影水の奥様(別項「名工の轍・宮松影水」参照)が、私が取材したときに話してくれたことがきっかけであった。
この「金龍」は、もともと駒銘は2枚とも、盛り上げがしっかりとしていたので、直さずにそのままにしておいた。ただし、歩が18枚ぴったりで元から余り歩はなかったので、上写真のうち2枚の歩を新しく私が作ったのである。
盛り上げ駒を長いこと使えば、どうしても漆が飛んだりすり減ったりしてくるし、欠損駒もできたりしてやむをえず使われなくなり、死蔵駒となってしまう。多少傷だらけでも、歳月で木地の味わいはより深まり、盛り上げをし直せば駒として甦るのである。
この「金龍」も、どこまで復活できたものなのかは、みなさんのご判断にお任せしたい。