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職人芸の極致 金井静山 <かない せいざん>


長録書島黄楊根杢盛り上げ駒
(杉亨治氏所蔵)

 駒の収集家が何組か所蔵すると、必ず欲しくなる書体が「長録書」である。なかでも静山作の「長録書」は、その柔らかい表現で人気がある。
 この駒自体は駒形があまり末広がりでなくやや角ばっている。駒形にこだわりがない静山らしいところかもしれない。

源兵衛清安書島黄楊虎杢盛り上げ駒
(北田義之氏所蔵)

 静山作の駒はずいぶんと拝見してきたが、この「源兵衛清安書」が最もいい出来な気がする。見るからに駒銘は素晴らしく、持ち主の北田氏が言うところの「フワ〜っと」した漆の盛り上げぐあいである。
やや写真は青っぽく白く見えるが、実際にはもっと飴色である。


水無瀬書島黄楊葡萄杢盛り上げ駒
(北田義之氏所蔵)

 静山作の「水無瀬書」は、影水作の「水無瀬書」と比べると派手さを抑えた表現となっている。実際に使うのにはこちらのほうが指しやすいという、静山ファンも結構根強くいる。
 葡萄杢という駒木地は実に珍しい。一見するとシミのように思われる点々がところどころの駒に見られる。これもひとつの木の味なのだろう。


駒師・静山作の駒の特徴

 上記したように静山自身は駒木地を作っていなかったので、実際に残っている作品も販売された盤駒店によって、駒形や厚みはそれぞれ異なっている。
 書体は、原則としては流れをくんでいる豊島龍山のものに近いといっていいだろう。ただし、その龍山に比べると、漆の盛り上げぐあいそのものは柔らかみがあり、それが静山の持ち味でもある。たいていの書体は作っているが、「長録」「源兵衛清安」「錦旗」などに定評がある。
 また、駒銘は見ておわかりのように繊細かつ実に流麗だ。好きな人は、この駒銘のために駒を所有するとさえいわれている。

■最後の名工とうたわれ
実直な駒作りが持ち味

金井静山
(本名・秋男)
1904〜1991年


東京で最後の駒師

 静山の号は、龍山の流れをくむところから「山」の一字を使ったと思われていたが、事実は少し違うようである。生前、静山の家に飾られていた、幕末から明治・大正期に活躍した書家・日下部鳴鶴の刻字の額「山静日長」(山静かにして日長し)からつけたものであるという。この額は、静山の形見として影水の奥さん、宮松登美さんの家に掲げられている。

   写真協力/宮松登美

 現在は駒の本場というと「天童」と誰でもが思うくらいに、山形県天童市の将棋駒産業が知れ渡っている。しかし実際には、別項の「駒知識百か条」でもふれているように、将棋家(大橋宗金)の駒作りが終焉を迎えてのちに、豊島龍山の出現を待って近代将棋駒が始まったのである。それも、東京の下町の一隅に、この「名工の轍」で紹介している5人の名工(豊島龍山奥野一香木村文俊宮松影水、金井静山)が輩出した。そのなかで、80歳を超える高齢まで駒を作りつづけたのが、駒師の号・静山(本名・金井秋男/1904〜1991年)である。つまり、アマチュア出身の現代の駒師を除けば、静山こそ東京最後の駒師といってよいだろう。
 明治37年(1904年)、静山は東京の芝大門に蔵を3棟も構える、大きな質屋・金井庄兵衛の長男として生まれる。病弱ながら、裕福で何不自由ない家庭で育ったが、震災、戦災で3度焼け出されている。その後、父親の骨董屋を手伝っていたとき、近くに住んでいた龍山(初代の豊島太郎吉)のすすめで、駒を作るようになる。といっても完全な弟子というより、外の下職といったほうが適切かもしれない。昭和15年(1940年)に龍山親子が相次いで亡くなり、龍山の駒作り工房は閉じられた。
 しかし、残された駒木地はたくさんあるし、お客からの注文もあったので、2代龍山の未亡人の依頼で、静山は引き続き駒を作った。それらの駒は龍山の駒銘だったので、通称「龍山静山」の駒といわれ、影の作者の駒として世に知られている。また、影水が駒を作りはじめたときに協力したり、影水が亡くなったときも、未亡人(宮松登美/号・美水)に頼まれて、一時期、彫りだけを手伝っていたこともある。 
 もちろん静山からすれば、ひとつの仕事であっただろうが、困っているの者を見過ごせない静山のやさしさも垣間見えてくる。現在ではすっかりなくなってしまった、そのような互助の精神が下町にはあふれていたのだろう。

盛り上げ駒しか作らない

 前述した事実から、どうしても静山には「影の作者」というイメージがつきまとうが、晩年まで作りつづけたその駒への情熱やエネルギーは、並大抵のものではない。最後には「影の作者」をすっかり払拭し、「最後の名工」とうたわれるのにふさわしい存在となっていた。
 盤駒店が駒木地を渡し静山に駒を依頼すると、2〜3日してお客の都合で書体の変更を申し出ても、「すでに彫ちゃったよ」と言う返事が返ってくるくらい、彫りも仕事が早かったという。だが不思議なことに、制作途中の彫った駒は見たことはあるが、静山作の彫り駒は世の中には流布していない。それこそ、他の名工たちとの決定的な違いかもいれない。つまり、盛り上げ駒しか作らない駒師が静山なのである。
 ふだんは温厚であった静山は、基本的には弟子もとらず、マスコミの取材もあまり受け付けなかったという頑固さも持ち合わせていた。ひとり暮らしの静山は、小さなマンションで静かに駒を作り晩年を過ごしていたが、平成3年(1991年)1月、86歳で死去。下の写真は、静山が晩年まで使用していた駒作りのための道具である。

彫り台
印刀(力を入れやすいように紐つき)
磨き台と瀬戸玉
漆を練るガラス板と目止めの壺
駒を乾かす乾燥台
「関根名人書」のハンコ

現在でも静山の駒が買える店

 最後に、現在でも静山作の駒を主に販売している「前沢碁盤店」(東京・両国駅の側)のホームページのアドレスを紹介しておこう。静山に興味のある方は、一度のぞいてみてください。

前沢碁盤店

http://www.maezawa-goban.co.jp/

 

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