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新龍薩摩黄楊孔雀杢盛り上げ駒
第344作(八軒延三氏所蔵)


別カット

盛り上げ台や筆、見本の字母紙など。 こし紙で漆を絞り、ゴミなどが入らないようにする。

駒銘を盛り上げるときに使う、専用の道具。

見本を置き、ここに駒を挟む。 彫り埋めの駒銘「新龍」を盛り上げる。 この状態でムロに入れて乾燥させる。

 今回の「新龍」は、ほとんど流布していないから私自身も初めて作る書体だ。もともとは、「名工の轍」で紹介している奥野一香(▼別項参照)の数ある書体の中の一つである。奥野作の書体として、これまで私(酔棋)が作ってきたものは「宗歩好(▼別項参照)」「錦旗(通常は「奥野錦旗」といわれる/▼別項参照)」「奥野菱湖(▼別項参照)」「清龍(▼別項参照)」がある。奥野作の書体は、いずれも双玉でやや太字、またぽってりとした漆が特徴といえよう。しかし、この「新龍」は太字というところは同じだが、字のハネやハイリなどが鋭さを帯びている。
 奥野作の実物の「新龍」は、かつて一度だけ拝見したことがある。1999年に、故・升田幸三実力制第四代名人のお宅に、『NHK将棋講座』の取材でおうかがいしたときのことである。升田元名人の愛用駒「淇洲(影水作)」を、元名人の奥様(静尾夫人)に取材したのであるが、そのときは残された駒としては先の「淇洲」しか見つからなかった。後日、原稿の確認のため再度升田家にうかがうと、数組の影水作の盛り上げ駒などをはじめ全部で10組以上の駒を見せられた。いずれも主がいなくなった駒たちは、磨かれるわけもなく放置されていたので、私が預かってきれいに磨きなおして、奥様にお戻しした。
 その駒たちの中に、虎杢のすごい駒木地の「新龍」(奥野作)があったのである。その駒は、由来が書かれた便せんも残されいたので、時代背景や駒銘からも奥野作の駒であることは間違いなかった。
 その便せんの内容は、

  「贈呈 将棋駒              萩原 淳(捺印)
 升田幸三殿
 この駒は昭和の初期、当時関根名人をはじめ土居、金、木見、大崎、花田、木村、金子各八段等が読売新聞棋戦の対局に使用されたものです
 昭和三十九年六月」

 というもので、将棋の歴史上の人物(便せんに書かれた棋士たち)が対局で使っていた駒なのである。萩原淳九段が升田幸三九段(当時)に、この「新龍」を贈呈した内容の便せんだ。まさに関東の名人駒と称される「宗歩好(奥野作/▼別項参照)」と並ぶ、私の好きな言葉「使われてこそ名駒」を地で行く名駒だったのである。ただ不思議なことに、駒木地の虎杢はかなり歴史を感じさせる状態なのだが、漆はまったくすり減っておらず、状態がすごくいいのである。
 奥様にうかがったところによると、将棋の天才・升田元名人と駒の天才・宮松影水(▼別項参照)はそれなりに交流があったという。つまり、升田元名人が毎年のように影水に駒を依頼していたのである。「天才は天才を知る(▼別項参照)」という、関係だったのかもしれない。そこで、これはあくまでも推測の域を出ないが、奥野作の「新龍」の漆がすり減ったため、影水が盛り上げ直したものではないかと思われるのである。というのは、先に述べたように「字のハネやハイリなどの鋭さ」は、奥野ではなくまさに影水の感覚だろう。この推測は、私だけでなく「将棋駒研究会」の会長・北田義之氏も同様の見解であった。
 以上のような名駒を、前から復活させてみようと考えていたので、今回新たに字母紙を起こし薩摩黄楊孔雀杢で作ってみたというわけである。ちなみに2013年秋に、開催した「将棋駒研究会展示即売会」(▼別項参照)に出品のための一作でもある。

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駒の詩